メモ2014-08-24
テーマ:お寺

介抱地蔵

今回ご紹介するのは

京都市中京区の福屋町にある

介抱地蔵

介抱地蔵(かいほうじぞう)です!


介抱地蔵というなんとも

珍しいネーミングのお地蔵さんは

弘法大師(こうぼうたいし)空海(くうかい)の作と

伝わっているんですよ

※空海について詳しくは、東寺の記事をご覧ください。


ちなみに普段、お地蔵さんは

格子の中に安置されているんですけれど

毎年、地蔵盆(じぞうぼん)の日になると

このようにオープンになっているんですね。


介抱地蔵尊

ちなみに地蔵盆とは

8月の地蔵菩薩の縁日(24日あたり)に行われる 地蔵菩薩の祭の事なんです


主に近畿地方で盛んに行われていて

京都では、地蔵盆の日になると

町のあちこちで子供達が集まり

地蔵盆が行われているんですよ。


介抱地蔵尊と書かれた提灯

地蔵盆の提灯も飾られています。


地蔵盆の日には

街角に安置されている

お地蔵さんを洗い清め

お供え物をし、法要が行われるんですね。


ですから地蔵盆の日には

京都の細い路地は通行止めになって

通れなくなっている場所があったり

町のあちこちにお坊さんがいるのを

目にする事が多いと思います

きっと法要で大忙しなんだと思いますよ~。


お地蔵さんを描いた掛軸

ちなみに介抱地蔵の地蔵盆では

この日だけ、町内に伝わる

お地蔵さんを描いた

掛軸も出されています


でもなぜ介抱地蔵なんていう

珍しいネーミングなのか気になりますよね~


『尊蔵地抱介』と書かれた額

それにはあるエピソードが伝わっているんです


江戸時代、元禄の頃(1688~1704年)

町内に子供を育てていた

1人の老女が住んでいたそうです。


その老女は日頃から

このお地蔵さんを信仰していて

朝と夕方に香花をお供えして

お参りしていたみたいですよ


そんなある日

老女は病にかかって

床に臥せってしまいます!!


いろいろ治療をしてみたものの

回復の兆しは見えなかったそうなんです


そんな老女を見て

子供は嘆き悲しんでいたのですけれど

ある不思議な出来事が起こるんですね。


それは、夜になると

お坊さんが枕元にやってきて

地蔵菩薩の宝号(菩薩の名)や

杯などを授けて介抱し

薬湯を与えたと言われています。


そんな事があったので

老女はますます信仰心を強めていったんですけれど

ある時、ついに病が治るんですね~


これは日頃からお地蔵さんに

お参りを怠らなかったからと信じられ

それ以降お地蔵さんは

介抱地蔵と呼ばれるようになったんだそうです!


介抱地蔵尊と書かれた碑

今では、子供の疱瘡や疫病、安産などの

ご利益があると言われています。


しかし!このお地蔵さんの

不思議なエピソードは

これだけじゃないですよ


1788年3月(天明8年1月)に起こった

天明の大火(てんめいのたいか)の際にも

不思議な事が起こるんですね~。


介抱地蔵のある福屋町も

天明の大火で激しい炎に包まれます


そんな中、1人の若い男性が

「このお地蔵さんを私に任せて下さい!」

と言って、肩に背負って

何処かに行ってしまったそうです。


その後、再びやってきて

今度はお地蔵さんを安置していた

厨子堂(ずしどう・仏像や経典等を安置しているお堂)までも

持っていったそうなんですね


その後、火も鎮まり2、3日経った頃

大炊(現在の竹屋町)に厨子堂を置いて帰った人がいたんですけれど

3月上旬には

あの若い男性がお地蔵さんを肩に背負ってきて

厨子堂の中に安置したと言われています。


そんな事から町内の人々は、お地蔵さんが

大火で無くなる事なく残ったのは

地蔵大菩薩の霊験によるものだと信じ

代々お守りしているそうですよ


ちなみに町内の人々が

お地蔵さんを背負っていった若い男性に

住所や名前を聞いても詳しくは答えず

春日(現在の丸太町河原町)の辺りと答えたみたいです。


そんなイケメンな男性のエピソードが伝わる

介抱地蔵の場所はコチラ↓


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