メモ2014-04-07
テーマ:お寺

勝持寺

今回ご紹介するのは

通称『花の寺』と呼ばれる

勝持寺

勝持寺(しょうじじ)です。


何故、花の寺と呼ばれるのかは

また後ほどご説明しますね


では早速レポートしていきましょう!

まず、勝持寺は西京区の

大原野という地域にあるお寺です。


小塩山(おしおざん)と号する

天台宗の寺院で役小角(えんのおづの・役行者と呼ばれる修験道の開祖)が

天武天皇(てんむてんのう・第40代天皇)の勅によって

679年(白鳳8年)に創建したと言われています


その後、791年に伝教大師である最澄(さいちょう)が

桓武天皇(かんむてんのう・第50代天皇)の勅によって

再建したと伝えられているそうですよ。


こま札


創建当初は、大原寺(たいげんじ)と呼ばれていたそうですけれど

仏陀上人(ぶっだしょうにん)が

文徳天皇(もんとくてんのう・第55代天皇)の帰依を得て 大原院勝持寺に改めたそうです。


小塩山勝持寺と書かれた石碑

小塩山勝持寺と書かれた石碑のある道を

まっすぐ進んでいくと・・・


仁王門

仁王門が見えてきます!


勝持寺は応仁の乱の際に

伽藍のほとんどが焼失してしまったそうなんですけれど

この仁王門だけは燃えずに残ったと言われているんですね


石塁と石垣の一部の遺構


仁王門を抜けてずっと歩いていきますと

写真のようなものが出てきます。


室町時代には足利尊氏(あしかがたかうじ)の

帰依などによって、現在の勝持寺の周辺に

たくさんの小院があったそうで

その石塁と石垣の一部の遺構をこのように

保存しているそうです


ちなみにこのような石塁は

今のお寺では見ることができず

大変貴重なもののようですよ。


そしてさらに歩いていきますと・・・


山門

山門に辿りつきました~

山門をくぐって中に入ってみると


あたり一面に桜の木


あたりは桜の木でびっしり


ちょうど満開の時期だったので

観光客の方も大勢いらっしゃいましたよ!


阿弥陀堂

阿弥陀堂

こちらは阿弥陀堂です。

阿弥陀堂から瑠璃光殿へと通路があり


瑠璃光殿

瑠璃光殿

中の宝物を見ることが出来ます


本尊である薬師如来像や金剛力士像(仁王像)

醍醐天皇勅額(だいごてんのうちょくがく)などが見れるんですよ。

※額は927年に小野道風(おののどうふう)が醍醐天皇の勅によって『勝持寺』と書いたものです。


そして、こちらには

不動堂

不動堂

お不動さんが安置されています。


このお不動さんは、正式名称を

大聖不動明王(だいしょうふどうみょうおう)といって

お堂の奥にある岩の中に安置されているんですよ

眼病平癒の信仰があるそうです。

右手には愛染明王(あいぜんみょうおう)が安置されています。


さて、冒頭でも触れたんですけれど

勝持寺は、通称花の寺と言われています。


その理由はと言いますと・・・


八重桜


こちらの八重桜にあるんですね~


これは西行桜(さいぎょうさくら)といって

平安末期のお坊さんである西行が

植えた桜なんですよ!


この西行桜がある事から

いつの頃からか花の寺と

言われるようになったんだそうです


それにしても

西行って一体どんな人なの

という方の為に

少しだけ解説をしますね。


西行がお坊さんになる前の名前は

佐藤義清(さとうのりきよ)と言い

実は、エリートの武士だったんですよ

※憲清、則清、範清とも言いますけれど、当サイトでは義清で統一します。


彼は平家の御曹司である

平清盛(たいらのきよもり)と同じく

北面の武士でした。

※北面の武士とは、白河上皇(しらかわじょうこう)が作ったもので、院の北側を警備する役目からそう呼ばれました。主に僧兵対策が仕事だったようです。


また、西行は文武両道の人で

歌も大変優れていたと言われているんですね


そんなエリート街道まっしぐらの彼が

何故出家してしまったのか

その事については、いくつか説はあるようですけれど

はっきりとしたことはわかっていないそうです。


鏡石

こちらは鏡石です。西行がこの寺で出家した際に、この石を鏡代わりに頭を剃ったそうです。


しかし、彼の出家の逸話として

出家する決意をした西行は

服にすがりつく4才の娘を

蹴り落としたと言われています。

よっぽど決意が固かったんでしょうね・・・。


その後、西行は各地を旅して巡り

訪れた先々で歌を詠んだと言われています。


そうして作った彼の歌は

勅撰和歌集である『新古今和歌集』に

なんと94首!も収録され

最も選ばれた歌人でもあるんですよ


そんな彼の有名な歌に

「願はくば 花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月のころ」

と詠んだものがあります。


これは桜の花を大変愛でた西行が

死ぬときは桜の木の下で

桜が咲く頃である2月の満月のときに死にたい

と詠んだものなんですね。


ちなみに2月の満月にときに釈迦が

入滅していますから、それもかけていると思いますよ

※旧暦の2月は今の3月中旬から4月上旬で、桜の季節です。


その後、彼は願い通り

2月16日の満月の日に

亡くなったそうです。


これには

藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい・平安末期最高の歌人)や

藤原定家(ふじわらのていか・俊成の子で百人一首を編纂)も

とても感動したと言われているんですね


ちなみに高杉晋作は

西行にちなんで

自分は幕府を倒すために東に行くことから

『東行』と名乗ったそうです。


それほど西行という名が

有名だっということですよね


そんなわけで、今日は西行ゆかりのお寺である

勝持寺をご紹介しました。


そんな花の寺と呼ばれる勝持寺の場所はコチラ↓


大きな地図で見る


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