メモ2014-02-24
テーマ:お寺

正伝寺

今回ご紹介するのは

正伝寺(しょうでんじ)です

※京都市の北、西賀茂(にしがも)と呼ばれる地域にあります。


正伝寺

本尊は釈迦如来・号は吉祥山です。


五山の送り火でお馴染み『舟形』のある

船山(万燈籠山、妙見山)の南麓でもあるんですよ。

※五山の送り火について詳しくは、大文字 2010大文字 2011の記事をご覧ください。


隣にあるゴルフ場は

本当かどうかわかりませんけれど

戦後アメリカ軍が作らせたと言われています


ちなみに正伝寺の正式名称は

『正伝護国禅寺(しょうでんごこくぜんじ)』と言い

臨済宗南禅寺派のお寺なんですよ。

説明

開山は宋からやってきた僧

兀庵普寧(ごつあんふねい)の高弟

東巌慧安(とうがんゑあん)です。


もともとは1268年、烏丸今出川に

創建したそうなんですけれど

その後、1282年に

賀茂社の社家である森経久(もりつねひさ)の援助を受けて

現在地に移ったと言われているんですね


山門

こちらは山門です。


ちなみにこの東巌慧安という人は

中国人みたいな名前ですけれど

播磨(はりま・現在の兵庫県南姫路市)出身の

日本人なんですよ


彼は元寇(げんこう・蒙古襲来)のとき

石清水八幡宮の八幡大菩薩に

ある祈祷を行ったことで有名です。


八幡社

山門の外にあった八幡社です。八幡さんは応神天皇(おうじんてんのう・第15代天皇)を祀っています。


元寇とは、鎌倉時代中期

1274年(文永の役)と

1281年(弘安の役)に

中国大陸をほぼ掌握した元が

2度に渡って

日本に攻めてきた事件ですよね

※元寇について詳しくは、霊光殿天満宮の記事をご覧下さい。


その祈祷文がこのお寺に伝わる

『蒙古降伏祈願文(重要文化財)』なんです。

※現在は京都国立博物館に寄託出品中ですので、そちらで見ることが出来ます。


内容は敵国の降伏を願ったものだそうで

文末に

「末の世の 末の末まで 我が国は 万(よろず)の国に すぐれたる国」

と書かれていたそうですよ。


その後、亀山上皇(かめやまじょうこう・第90代天皇)は

これを賞して

『吉祥山正伝護国禅寺』の号を

下賜(かし)されたと言われています


本格的に外国から攻められるという

日本の歴史始まって以来の

国難に立ち向かったんですね。

正伝寺

その後、応仁の乱(1467年~1477年)により

正伝寺は一時衰退するんですけれど

豊臣秀吉(とよとみひでよし)や

徳川家康(とくがわいえやす)の援助を受けて

復興されたと言われています


拝観用の鐘

拝観するときには、この鐘を2回鳴らします♪


では早速中に入っていきましょう

ちなみに正伝寺には

大変有名なお庭があり

こちらがその写真です。

獅子の児渡しの庭

江戸初期に作られたと言われる

白川砂を敷き詰めた枯山水庭園で

七五三調に並べられたサツキの刈り込みから

『獅子の児渡し(ししのこわたし)』と呼ばれています。


ジーっと見てると

獅子が子を連れて

渡っている姿に見えてきますよね


そしてバックには

比叡山が借景として使われています!

※借景とは、バックの景色を庭に利用する技法で借景庭園と呼ばれています。


ちなみに作庭したのは

滋賀県が産んだ偉人

小堀遠州(こぼりえんしゅう)なんですね。


今の季節、サツキは咲いてないのですけれど

6月くらいには花が咲いて

とっても綺麗なんだそうですよ~

また、それくらいに写真を撮りに行ってみたいと思います


そしてこちらは血天井


血天井

方丈前の天井は伏見城の遺構である血天井です。


関ヶ原(天下分け目)の戦いの

前哨戦とも言える戦いが

実は京都の伏見で起こったんですね


徳川家康(とくがわいえやす)の家臣である

鳥居元忠(とりいもとただ)は

伏見で石田三成(いしだみつなり)軍と

交戦します。

そのとき、戦いに敗れた

鳥居元忠をはじめ1200余の人が落城のとき

割腹をして果てたと言われています。


そのときの廊下の板を

供養のため、天井の板にしているんですね。

生々しい血痕の後が

当時の凄まじさを物語っていますよね


手形や足跡、指の形がくっきり残る血天井

手形や足跡、指の形がくっきりと残っています。


こちらの血痕は

血液学の権威として知られる

古畑種基(ふるはたたねもと)博士の研究で

368年以前の人間の血液であると

科学的証明がされているんですよ

伝承は本物だったと言うわけですよね♪

※ちなみに血天井は栄春寺、源光庵興聖寺、神応寺、天球院宝泉院養源院にもあります。鳥居元忠について詳しくは源光庵 その2の記事をご覧下さい。


こちらの方丈は

はじめは聚楽第、次に伏見城、さらに金地院の書院

と来て正伝寺と移ってきたようです。


そして、方丈の中には

狩野山楽(かのうさんらく)の襖絵(重要文化財)がありました


建物内は写真が禁止されていましたので

お見せ出来ないのですけれど

中国杭州西湖(こうしゅうせいこ)の実景を

描いたものだそうですよ。

※狩野山楽は安土桃山時代から明治時代にかけて活躍した『京狩野』の祖と言われています。


信楽焼きのたぬき

いくつもの信楽焼きのたぬきが置かれていました。かわいいですよね~


普段は夕方17時までの

拝観なんですけれど、中秋の名月の時は

夜の21時まで夜間拝観が出来るみたいです。


梵鐘

こちらは梵鐘です。


月がとても美しいことから

近所の方には『月の寺』と呼ばれることも多いそうです

※一説には塀の高さや木の配置を月の位置を考慮して決められているのだとか!


そんな正伝寺の場所はコチラ↓


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