2012-06-24 | |
テーマ:お寺 |
本圀寺
こんにちは京子です
今回ご紹介するお寺は・・・
本圀寺(ほんこくじ)です。
鎌倉時代、日蓮宗の開祖である
日蓮(にちれん)というお坊さんが
鎌倉に構えたお堂が起源となっています。
この事から本圀寺は
別名「西の祖山」「西の総本」と言われています。
その後、京都に室町幕府が開かれると
足利尊氏は本圀寺を京都に移設する事を希望します。
こうして光厳天皇の勅命により
1345年に京都の六条堀川(西本願寺の近く)に移設されました。
その時の住職は日静(にちじょう)というお坊さんで
足利尊氏の叔父にあたる人だそうです
※この事から本圀寺は皇室や幕府からの援助を受けていたんですね
彼はその後、日蓮宗『六条門流』の祖と言われるまでに力を持ち
本圀寺は
京都を代表する日蓮宗寺院となりました。
しかし
1536年、日蓮宗の不受不施派(ふじゅふせは)と延暦寺の間で
宗教戦争(天文法華の乱・てんもんほっけのらん)が起こり
本圀寺は焼き討ちに遭い・・・廃寺となります。
※『不受不施派』とは「日蓮宗不受不施派以外の宗派や僧侶には施しをせず、また施しを受けない」という団体で、極端に言えば「繋がりを持とうとしない仏教の過激派」です。天文法華の乱や不受不施派について詳しくは常寂光寺の記事をご覧下さい。
以後も再興や廃寺を繰り返し
昭和46年、京都の山科(やましな)に移築される事となりました。
さて
中に入ると見えてくるのは
仁王門です。
よく見ていただけると分かりますが
仁王像には金箔が貼られているんですね。
この他にも
境内のいたる所に金箔が貼られています
本堂前の灯籠も金色に輝いています
『金は金をよび 赤はパワーのもと』という考えから
山科に移築された時に
住職さんの発案で金箔を貼ったそうです
日蓮宗の開祖『日蓮』の巨大な立像です。
こちらが本堂です。ちなみに内部も金色の装飾が施されていましたよ
左手の階段を上ると『一切経蔵』があります。中には経典が納められています。
ちなみに6月24日には
『清正公火焚祭(せいしょうこうひたきさい)』が行われていました
清正公とは戦国大名・加藤清正の事です。
彼は秀吉子飼いの武将であり
賤ヶ岳七本槍(しずがたけななほんやり)の1人として有名ですよね
※賤ヶ岳七本槍とは、秀吉と柴田勝家が戦った『賤ヶ岳の戦い』において活躍し、秀吉から感状(賞状)が与えられた7人の武将を指す言葉です。
人形塚もあります。清正公火焚祭では人形供養も一緒に行われ、護摩木に加えて人形も一緒に燃やされました。
加藤清正は熱心な日蓮宗の信者であり
多くの日蓮宗の寺院を建てたそうです。
こちらは本堂の右手奥にあります
『清正宮(せいしょうぐう)』です。
金色の鳥居が目を引きますね~
ここに清正は
両親の遺骨と一緒に
自分の歯や髪の毛を納めたそうです。
この事から『清正公廟(せいしょうこうびょう)』とも呼ばれています
扉には加藤家の家紋
『蛇の目(じゃのめ)』と『桔梗(ききょう)』もありました♪
本堂の隣にある本師堂です。堂内には日蓮上人の持仏であったお釈迦様が安置されているそうです。
そして
こちらは金銭・財運の御利益がある
『九頭龍銭洗弁財天(くずりゅうぜにあらいべんざいてん)』です。
備え付けの「ざる」にお金を入れて
この水で洗うと良いそうですよっ
そして最後にご紹介するのが
鐘楼です。
これもご覧の通り金色に輝いていますね~
秀吉の姉『日秀(にっしゅう)』寄進によるものだそうで
鐘には秀吉の両親や木下家一族の戒名が
並んでいるそうですよ。
ちなみに
加藤清正や日秀以外にも
水戸黄門で知られる『水戸光圀』からの援助も受けていたそうで
1685年に徳川光圀から圀の字をいただき
本国寺から『本圀寺』へと名を改めたそうです
そんな本圀寺の場所はコチラ↓
大きな地図で見る
最寄の交通案内
1 ■あやかりたい
京都で金というと金閣寺が有名ですが、こちらのお寺さんも金だらけですねw(゚o゚)w
金箔の仁王像、鳥居…今度京都に行く時には是非訪れてみたいです!
ほたてこはくさん 2012-06-25 14:50:16
2 ■Re:あやかりたい
>ほたてこはくさん
そうなんですよ♪もう・・・インパクトは大!間違いなしですっ。о(ж>▽<)y ☆お金もざるに入れて洗っちゃいましょう~っ。本堂の中もとても綺麗でしたよ~
京子 2012-06-25 22:16:42
雑談掲示板 新着