2012-05-16 | |
テーマ:祭り・イベント |
関連:葵祭 2010(賀茂祭) / 葵祭 2011(賀茂祭) / |
葵祭(上賀茂神社・下鴨神社)
こんにちは京子です
今回ご紹介するのは
5月16日に行われた・・
葵祭(あおいまつり)です。
※本来15日に行われますが、2012年は雨の為に1日順延となりました。
京都三大祭の1つである『葵祭』は
江戸時代までは『賀茂祭』と呼ばれていました。
源氏物語や枕草子にも
その名が出てくる有名な祭で
平安時代において『祭』と言えば賀茂祭の事を意味していました。
京を襲った疫病が
賀茂神(かものかみ)の祟りだと考えられ
それを鎮める為に、天皇の勅使により祭が始められ
馬に鈴を付け走らせ祈願した事が起源となっています
見所はなんと言っても総勢500名以上もの
雅で優雅な一大パレードで
京都御所を出発し
これは宮中から
それぞれの神社に捧げ物を持って行く意味があるんですね。
では早速
京都御所(御苑)の様子からレポートしたいと思います。
まずは『路頭の儀(ろとうのぎ)』が行われます。
10時半、御所から出てきた行列が
建礼門(けんれいもん)前を通ります。
この行列は大きく分けて
警護の列、宝物(捧げ物)の列
斎王代以下女人列(さいおうだいいかにょにんれつ)
から構成されています
検非遣使志(けびいしのさかん)です。検非遣使とは、平安時代に警察や検察を兼ねた官庁であり、葵祭においては行列を警護します。
捧げ物が入った御幣櫃(ごへいびつ)です。
輿に乗った斎王代。お美しいですね~。
天皇の勅使(近衛使代・このえつかいだい)です。行列の中では一番位が高いんですよ。
葵祭の主役の1人とも言える『斎王代』は
『斎王』の代わりという意味です。
※斎王とは、葵祭で天皇の代わりに神様にお仕えする女性を指します。
平安時代から斎王には
未婚の皇族女性(内親王)が選ばれていました。
以後、斎王を中心とする『女人列』が無くなった時期もありましたけれど
昭和31年からは斎王の代わりに
一般人から毎年『斎王代』が選ばれるようになり
斎王代を含む女人列が見事復活したんですね~
御苑内を通り堺町御門(さかいまちごもん)をくぐって
京都御苑を出発します♪
丸太町通を東へ進み河原町通を北上し
『糺の森(ただすのもり)』を通って
11時40分に下鴨神社へと到着します
ここで『社頭の儀(しゃとうのぎ)』が行われ
御幣物(ごへいもつ・捧げ物)を神社へ渡します
ちなみに京子は下鴨神社へ入る行列を見届けた後
上賀茂神社へ一足お先に移動しました♪
そして行列は休憩した後
下鴨神社から賀茂街道を通り
15時40分に上賀茂神社へと移動します
一ノ鳥居から二ノ鳥居へ進む行列。
下鴨神社と同様に
ここでも『社頭の儀』が行われます。
※両神社とも社頭の儀を見るには有料チケットが必要です。
まずは斎王代をはじめ
神事に参加する人のお清めを行った後
御幣物が上賀茂神社へと渡されます。
そして『社頭の儀』の見所と言えるのが
6人の舞人が踊る東游(あずまあそび)です
中国などの外来音楽の影響を受ける前から日本にあった舞踊で
内容は『古事記』や『日本書紀』などの
神話に基づくものが多い事が特徴です。
葵祭では『駿河舞』と『求子舞(もとめごまい)』という演目が
奉納されます。
どちらも上品な演目だそうで
中でも『駿河舞』は都の貴族に人気が高かったようですよ~
最初に『駿河舞』を踊った後、一度立て砂前まで移動し舞人が片袖を下ろします。そして再び橋殿まで移動し『求子舞』を披露します。
こうして御所から始まった葵祭は
いよいよクライマックスを迎えます。
無事に宮中から
最後に『走馬の儀』が行われます。
一ノ鳥居と二ノ鳥居の間を
颯爽と馬が駆けぬけ無事に全ての神事が終了です♪
今年は雨で1日順延となりましたけれど
多くの方が
雅な祭をひと目見ようと大勢いらしてましたよ~
京都御所はコチラ↓
下鴨神社の場所はコチラ↓
上賀茂神社の場所はコチラ↓
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