![]() | 2011-09-14 |
テーマ:神社 |
大酒神社
こんにちは京子です。
さて、本日ご紹介する神社は・・・
![大酒神社](2011/09/14/01/2011-09-14-2.jpg)
大酒神社(おおさけじんじゃ)です。
場所は、京都の太秦(うずまさ)と呼ばれる地域にあります。
この太秦と呼ばれる地名の由来を
ご説明しておきますと
その昔、この土地を治めていた豪族というのが・・
秦氏(はたし)です!!
彼らは、古墳時代に日本列島に渡来し
大和政権の組織下に入るんですね。
では、どこから渡来して来たのかと言いますと・・・
(・∀・)ノ朝鮮半島(百済)なんです!
弓月王(ゆずきのきみ)という人物が
372年、百済から民衆1万人以上もの人間を
引き連れ倭(日本)に渡来してきました。
![大酒神社](2011/09/14/01/2011-09-14-1.jpg)
由緒が書かれていました。
当時、中国大陸では内乱が繰り広げられていて
それを回避する為に弓月王は海を渡ってやって来たといいます。
この事から『大酒神社』はその昔『大避神社』と
書かれていたそうですよ。
この事から、大酒神社は災難除けや、悪疫退散のご利益もあるそうです。
ちなみに、彼ら(秦氏)は、製陶、養蚕、機織などの技術に
優れていて
宮中に献上する絹を『うず高く積んだ』事から
太秦(うずまさ)という地名が残ったとも言われています。
※この他にも、秦氏の拠点を『太い』という字で表し太秦と読んだという説もあります。
![大酒神社](2011/09/14/01/2011-09-14-4.jpg)
こちらが本殿です。
さて、大酒神社の祭神は
先ほども説明した『弓月王』、そして彼の孫と言われている
『秦酒公(はたのさけのきみ)』
そして、もう一人が『秦始皇帝(しんのしこうてい)』です。
※一説では、秦氏は秦の皇帝の末裔だとも言われているそうですよ。
この事から分かるとおり、
大酒神社は、この太秦という地に住む秦氏の氏神として
建てられたという事がお分かりいただけると思います。
明治期の神仏分離令により場所が移動しましたけれど
かつては、蜂岡寺(広隆寺の古称)の境内にありました。
※ちなみに、蜂岡寺も秦氏の手によって建てられたものなんですね。
この他にも
秦氏が埋葬されていたと言われている蛇塚古墳なども
太秦エリアには史跡として残っているんですよ。
![大酒神社](2011/09/14/01/2011-09-14-3.jpg)
境内にあります記念碑です。変わった形していますね。
![大酒神社](2011/09/14/01/2011-09-14-5.jpg)
石碑には太秦明神『呉織神 漢織神』と書かれていました。
最後に、ひとつ変わったお祭りをここでご紹介したいと思います。
それが
『牛祭』
京都三大奇祭のひとつと言われている、こちらのお祭り。
※ちなみに三大奇祭は太秦の牛祭・今宮神社のやすらい祭・鞍馬寺の火祭です。やすらい祭についてはやすらい祭 2010(今宮神社)をご覧下さい。
奇妙でユーモラスなお面をつけ
白装束姿の魔多羅神(まだらじん)が
牛にまたがり、練り歩きます。
祭壇では
特有の方言を交えた祭文を読み上げる
神秘的なお祭りだそうです。
一番変わっている点が
参拝者がその魔多羅神に向かって
なんと・・・
( ´Д`)野次を浴びせるしきたりがあるんですね!
なんだか想像できない感じですけど。
京子もまだ未参加のお祭りなので気になるトコロです♪
かつては大酒神社の祭りとして牛祭は
執り行われていたそうで
現在は広隆寺の祭りとして復興しているんですよ。
そんな大酒神社の場所はコチラ↓
大きな地図で見る
最寄の交通案内
![](./emoji/G3e.gif)
1 ■神仏分離令
京子さん、おはようございます、お元気そうで何よりです、平安神宮も、京都御所から明治天皇が東京に移られる前に移転しましたね、懐かしく拝見いたしま下、益々のご厚情を、ではでは
まあくんさん 2011-09-15 04:51:47
2 ■酒は…
大酒神社という名前なのでお酒と関係があるの?と思ったのですが、あまり関係はないんですかね…
やはりお酒関係といえば、松尾大社や梅宮大社さんでしょうか。
ほたてこはくさん 2011-09-15 08:01:11
3 ■Re:神仏分離令
>まあくんさん
お返事遅くなりましたm(..)m
まだ少し暑い日が続いていますけれど、張り切ってブログ更新していきますよ~♪
有難う御座います(o^-')b
京子 2011-09-16 14:10:53
4 ■Re:酒は…
>ほたてこはくさん
お返事遅くなりましたm(..)m
お酒ではなくて牛でしたよ~♪
梅宮大社はそろそろ椿が頃合いでしょうね(´∀`)
京子 2011-09-16 14:21:57
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