2011-03-07 | |
テーマ:神社 |
関連:火焚祭(満足稲荷神社) / |
満足稲荷神社
こんにちは京子です
さて、本日は
満足稲荷神社(まんぞくいなりじんじゃ)を
ご紹介します
なんともインパクトのある
名前の神社だと思いませんか
そんな「満足」と名付けた人というのが
天下統一を果した、豊臣秀吉なんです。
現在、満足稲荷神社は、東山にありますけれど
その昔は伏見城内にあったんですね。
伏見城と言えば
秀吉の建てたお城で
彼が天下統一した後
余生を過ごした場所としても有名ですよね
秀吉は伏見城を建てる以前から
稲荷神へよくお参りをしていたそうで
そのおかげで
全国統一し神のご加護が受けられたという事から
伏見城の造営の際にも、稲荷社を勧請し、城内に祀ったのです
時は流れ、伏見城は取り壊される事となりますけれど
徳川綱吉によって現在地の東山に、満足稲荷神社は移される事となりました。
鳥居を潜って境内に入ると、舞殿があります。
では、舞殿の向かって左手にあるものを
紹介していきたいと思います
こちらには神馬もいました。
神社に奉納された馬で、昔は祈願のために馬を奉納する習わしがあったんですね。
時代とともに、実際の馬ではなく、銅像になったり絵馬になったりと変化していく事となります。
手水舎(ちょうずや)には龍がいました。
巨大な「もちの木」もあります。
満足稲荷神社のご神木とされていて、樹齢はナント400年
太い幹が大変立派ですね。
この太い幹から、8本に枝分かれしていまして末広がりで大変縁起がいいと言われているんですよ
そのもちの木の根元にあったのが「岩神(いわがみ)」です
撫でると頭が良くなると言われていています。
それに加え、岩神を撫でた手を
体の悪い部分をさすれば、良くなるとも言われていますよ
そして、舞殿の奥には拝殿があります。
稲荷神社は稲荷神を祀っています。
先ほどもご説明しましたけれど
秀吉はこの稲荷神を大変好んでいたとされ
彼が建てたもので有名な聚楽第(じゅらくてい)。
この造営の際にも稲荷社を勧請したんです。
ご存知の通り、聚楽第は取り壊される事となりますけど
この稲荷社は、場所を移し、出世稲荷神社として残ったんですね
それにしても、秀吉をはじめ
日本人は稲荷神や狐になぜ惹かれたのでしょうか?
拝殿に吊るされていた絵馬です。稲荷社なので、狐が描かれています。
狐は稲荷神の神使ですよね。
拝殿の右隣には3つの末社(大神宮社、大国主社、猿田彦社)がありました。
秀吉は事あるごとに、稲荷社に参拝し
目標としてきた全国統一を成し遂げ
その事に満足し
伏見城内に勧請した稲荷社に
「満足稲荷社」と名前をつけました
日本を統一した秀吉は、次に朝鮮出兵を開始します
この際も、稲荷社に必勝祈願をしていたという事ですよ。
そんな満足稲荷神社の場所はコチラ↓
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