![]() | 2011-06-29 |
テーマ:神社 |
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晴明神社 その2
さて、本日ご紹介する神社は・・・

晴明神社(せいめいじんじゃ)です。
晴明神社には誰が祀られているのかと言いますと
安倍晴明ですよね♪
彼は平安時代の陰陽師(おんみょうじ)。
一般的には占い師といったイメージがあると思います。

安倍晴明は人気でテレビや小説でも度々取り上げられる人物で、晴明神社には参拝者が絶えません

こちらは、ひとつめの鳥居をくぐった先にあった狛犬。写真では分かりづらいかもしれませんが、かなり大きいサイズの狛犬でした。
ですけれど
今の占い師と、当時(平安時代)の占い師では
全然ニュアンスが違うんですよね~
科学という言葉も無い時代ですから
雲の流れが早かったり
地震が起こったり、大雨が降ったりすれば
どうしたのかと言うと
占い師・・・つまり陰陽師に聞いたんですね!
科学的な根拠では、もちろん答えられないので
厳密に言うと科学者ではないですけれどね。

こま札を見ると
『平安中期の天文博士安倍晴明を祀る』
・・・と書いてあります
陰陽道では
中国から伝わった陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をベースにして
暦を読み、星を観測し、それに基づき占っていました。
今では、星座占いで本気で結婚相手を探したり
この先に起こる出来事をそこまで信じたりしませんよね?
それは、星座そのものが科学である程度証明されているからなんですよね。
ですけれど、当時はその根拠がどこにも無いので
占い師・・つまり陰陽師に聞いていたというワケです。
その星や暦に基づいた答えというのを誰も疑いませんでした。
こういった考えは
都の遷都などを見てもあきらかですよね。
安倍晴明がこうして語り継がれているのは
6代もの天皇に、長きに渡り仕えたからではないでしょうか。
晴明神社は、彼が亡くなり
残った邸宅跡に一条天皇が建てたとの事です。

さて、2つ目の鳥居が見えて来ましたけれど
なんと言っても
この☆マークが印象的ですよね~。

晴明紋(五芒星・ごぼうせい)と言います。
さすが、天文博士と飛ばれるだけあって、この星をかたどったマークがばっちり似合っていますよね♪
陰陽道では、このマークが魔除けの呪符とされているんです。

こちらは、晴明井(せいめいい)です。
現在でも、湧き出す水は、飲む事が出来るとの事です。
蓋の向きは、毎年、恵方の方向へと動かしているそうですよ。
ちなみに、戦国時代は、このあたりに千利休のお屋敷があったと言われています。
つまり・・・彼が自害した場所でもあるそうです(汗)
※千利休の自害にまつわるお話は大徳寺の記事をご覧下さい。

そして、この井戸の前には・・・
北斗七星をかたどった石の配列がありました♪
じつは、陰陽道において、この形に添って歩行する事を
反閇(へんばい)と呼び、なにやら呪術的な意味合いがあるそうですよ~。

さて、境内にはもちろん安倍晴明の銅像もあります
陰陽師は天文的な分野で秀でていた事は
お分かりいただけたと思いますけれど
もうひとつ特徴的な点と言えば・・・
式神(しきがみ)と呼ばれる鬼神を、呪術によって意のままに操っていたという事ですよね!
その代表格が安倍晴明なのです。

絵馬ももちろん晴明紋です。

『厄除桃』です。陰陽道では桃は厄除けの果物と言われていたんですね。

拝殿です。現在のものは明治時代に建てられたものだそうですよ。

さて、次にご紹介するのが桔梗(ききょう)。
花びらの形が五芒星に似ている事から
晴明神社の社紋は『桔梗印』と呼ばれていて
なんと、1500株もの桔梗が境内には植えられています。

ちょうど現在がシーズン真っ盛り。♪
是非、お近くの方は参道に足を運んでみてはいかがでしょうか?

境内には、『一条戻り橋』が移築がされています。
以前に使用されていた橋の一部です。
この一条戻り橋から晴明神社は、すぐの場所になります。
一条戻り橋のかかる『一条通り』は平安京の一番北の通りであり
これより外を洛外、中を洛中と呼んだのです。

こちらは現在、実際に架かっています一条戻り橋です。この橋の下に式神が何匹もいたという事です。
さて、何匹もの式神を操っていた安倍晴明ですけど
一条戻り橋に関して、こんなエピソードもあります。
それは・・・
彼の奥さんは、この式神をとても嫌がり、自宅には連れて帰れず
当時は一条戻り橋の下に式神を残し
必要な時だけ呼び出(召喚)していたと言われているんですよ。
そんな晴明神社の場所はコチラ↓
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