今回ご紹介するのは
京都市伏見区の醍醐寺(だいごじ)の
境内にある理性院(りしょういん)です!
![理性院](2023/03/28/01/2023-03-28-1.jpg)
理性院は、平安時代の1115年(永久3年)に
醍醐寺の僧であった理性房賢覚(げんかく)が
父の賢円(けんえん)の住房
(じゅうぼう:日常生活の部屋)に
仏像を安置したことに始まるそうです
真言宗醍醐派のお寺になります
![第57回「京の冬の旅」理性院の看板](2023/03/28/01/2023-03-28-2.jpg)
第57回「京の冬の旅」理性院の看板
通常は非公開のお寺なんですけれど
第57回「京の冬の旅」で
特別公開されていましたよ~
![別格本山理性院と書かれています。](2023/03/28/01/2023-03-28-3.jpg)
別格本山理性院と書かれています。
それでは早速、中に入っていきましょう
![理性院の山門](2023/03/28/01/2023-03-28-1.jpg)
理性院の山門
山門をくぐって目の前に現れるのは
千体地蔵(せんたいじぞう)です。
![理性院の千体地蔵](2023/03/28/01/2023-03-28-4.jpg)
理性院の千体地蔵
この地蔵は先代の住職が
少しづつ集められたものだそうです。
それにしてもすごい数のお地蔵さんですよね♪
中にはお猿さんもいました
![理性院のお猿さん](2023/03/28/01/2023-03-28-5.jpg)
理性院のお猿さん
毎年10月の第3日曜日には
千体地蔵供養が営まれ、新しい涎(よだれ)掛けが
奉納されるそうです
中門をくぐって中に入ると
客殿と本殿が目の前にあります。
![理性院の客殿](2023/03/28/01/2023-03-28-6.jpg)
理性院の客殿
参拝する際には、客殿から中へと入ります。
客殿の中には、江戸狩野派の礎を築いた
狩野探幽(かのうたんゆう)が18才の頃に描いたとされる
障壁画「水墨山水図(すいぼくさんすいず)」がありました
![理性院の障壁画「水墨山水図(すいぼくさんすいず)」](2023/03/28/01/2023-03-28-8.jpg)
理性院の障壁画「水墨山水図(すいぼくさんすいず)」
探幽が10代の頃の作品は、ほとんど残っていないので
とても貴重なものだそうです
探幽は16才の時に江戸幕府の御用絵師になり
若くして才能を開花させた絵師でした。
ちなみに水墨画というのは
鎌倉時代の終わりから室町時代にかけて
宋や元から禅宗とともに伝わった
墨の濃淡のみで描く独特の絵のことなんですね
探幽が描いたこの水墨山水図は
琴棋書画(きんきしょが)をモチーフに
描かれたものなんだそうですよ。
琴棋書画とは、古代中国の文人等がたしなむ
4つの芸術のことで、具体的には
琴を弾くこと、囲碁を打つこと
書を書くこと、絵を描くことを指します
先程の写真をアップにすると
琴を弾いている様子や
![水墨山水図の琴を弾いている様子](2023/03/28/01/2023-03-28-9.jpg)
囲碁を打っている様子が伺えます。
![水墨山水図の囲碁を打っている様子](2023/03/28/01/2023-03-28-10.jpg)
そして、客殿から本堂へと進んでいきます。
本堂内での撮影は残念ながら禁止されていましたので
写真でご紹介することが出来ないんですけれど
不動明王坐像や毘沙門天立像を見ることが出来ました。
![理性院の本堂](2023/03/28/01/2023-03-28-7.jpg)
理性院の本堂
ちなみに理性院の本堂には
80年に1度しか見ることが出来ない秘仏である
ご本尊「大元帥明王(だいげんすいみょうおう)」が
安置されています
80年毎のご開帳ですから
タイミングが合っても人生で1度しか
見ることが出来ないですね
大元帥明王は体に蛇を巻き付け
憤怒の表情をした明王で
外敵を退け、国を守る力があるとされ
古くから祈願の対象とされてきました
最後に紹介するのは、歓喜天(かんきてん)が
祀られている聖天堂(しょうてんどう)です。
![理性院の聖天堂](2023/03/28/01/2023-03-28-11.jpg)
理性院の聖天堂
歓喜天は、男天と女天の2体が抱き合った双身像で
頭が象の形をした象頭人身の姿をしています
ということで、今回は醍醐寺の
境内塔頭である理性院をご紹介しました
理性院の場所はコチラ↓