今回ご紹介するのは
京都の変わった風習の1つ
泥棒よけの逆さ札です!
泥棒よけの逆さ札?
と思う方もいらっしゃるかと思いますけれど
京都では、古くから
「十二月十二日」と書かれた札を
出入り口に上下逆さに貼っておくと
盗難除けになるといわれているんですね~
それにしてもどうして
「十二月十二日」と書かれた札が
盗難除けになるのか不思議じゃないですか
12月12日と書かれた札
これには、京の都中を荒らし回って
盗みを働き、天下の大泥棒とまでいわれた
石川五右衛門(いしかわごえもん)と
関係があるんですよ~
そもそも石川五右衛門って誰だっけ
って方もいるかもしれませんけれど
それもそのはず、五右衛門については
あまりわかっていることがないんですね
ちょっと前までは本当に実在するのか
長い間、疑問視されていたぐらいですから
けれど、実在していた事は
まず間違いない、というのが有力のようです
安土桃山時代の1594年(文禄3年)の夏
天下の大泥棒・石川五右衛門も遂には捕まり
三条河原で釜茹の刑になりました
生きたまま油で煮えたぎった釜の中に
五右衛門は子供と共に入れられ
煮られちゃったというんですから
たまりません!
あ、正確には揚げられちゃったでしょうか
どっちにしても怖すぎです
どうしてこのときに捕らえられたのが
五右衛門とわかるかといいますと
釜茹になったときの様子を記録していた
外国人がいたからなんですね
その外国人とは、スペイン人商人の
アビラ・ヒロンと
スペイン人イエズス会士の
ペドロ・モレホンです
アビラ・ヒロンは五右衛門処刑の様子を
彼の著書「日本王国記」の中に
記していました
そこには盗賊団が油で煮られた
という内容の記述がみつかります
そしてスペイン人イエズス会士の
ペドロ・モレホンは、油で煮られたのは
Ixicavagoyemon(石川五右衛門)と
日本王国記に注釈を入れたんですね
これによって伝説に彩られた
石川五右衛門は実在する人物であったと
証明されたというワケです
ちなみに五右衛門風呂の五右衛門は
石川五右衛門からきているんですよ。
五右衛門が油で茹でられた際の風呂の形状を
五右衛門風呂というんですね
また、京都の南区には釜ヶ淵(かまがふち)
という地名がありますけれど、これは
五右衛門を釜茹の刑にした際に使われた釜が
流れ着いた場所といわれています。
ちょっと話が長くなりましたけれど
その五右衛門が三条河原で処刑された日が
12月12日だったんです
12月12日は石川五右衛門の命日!
五右衛門の命日を札に書いて
逆さに貼っておけば、泥棒に入った盗人が
改心して泥棒をやめるんじゃないか
という、おまじないなんですね
なんとも妙な話なんですけれど
この日だけは、泥棒するのは
やめておこうと思うのだとか
でもどうして逆さにする必要があるの
と思いますよね~
これは屋根裏から盗みに入ろうとした泥棒に
札の字を見やすくするためなんだそうですよ。
ちなみにこの札なんですけれど
12月12日の12時に12歳の子供が
書いたものが効果があるとか
いろいろなルールが
家や地域であるようです
けれど盗みに入った泥棒にとっては
誰がどんな方法で書いたかなんて
わからないと思いますけれどね
ということで今回は京都の習慣である
泥棒よけの逆さ札をご紹介しました!
皆さんも是非やってみて下さいね♪