今回ご紹介するのは
京都市右京区にある
広沢池(ひろさわのいけ)です!
広沢池は、円周1.3キロ程の巨大な池で
日本三沢(にほんさんたく)の1つに
数えられているんですね~
8世紀頃に渡来系民族である
秦氏(はたし)が
その原型を造ったといわれ
後に遍照寺(へんじょうじ)創建の際に
寛朝(かんちょう)が寺の庭池として
造営したと伝わっている事から
通称・遍照寺池(へんじょうじのいけ)とも
呼ばれているんですよ♪
遍照寺は、山号を広沢山という
真言宗御室派準別格本山の寺院で
平安時代の989年(永祚元年)に
花山天皇(かざんてんのう:第65代天皇)の勅願によって
寛朝が創建したといわれています
もともとは広沢池の北西
朝原山(あさはらやま:遍照山とも)麓に
あったそうで、そこにあった山荘を改めて
お寺にしたといわれているんですね
遍照寺創建当時、池の周辺には
金色の観世音菩薩(かんぜのんぼさつ)を
お祀りする観音島(かんのんじま)や
多宝塔(たほうとう)、釣殿(つりどの)
八角堂等の壮大な伽藍(がらん)を構え
観月の名勝としても知られていました
池に突き出た観音島
現在、池の西側には
池に突き出た観音島があって
そこに石仏の千手観音像や
壹美白弁財天社があるんですね
石仏の千手観音像
映画やドラマでも
良く使われる場所でもあって
最近では、NHKの朝の連続テレビ小説
『あさが来た』の新次郎さんが
三味線を弾くシーンで
この場所が使われていました
壹美白弁財天社
そんな広沢池は
2010年(平成22年)の
3月25日に農林水産省の
『ため池百選』に
選ばれたんですね~♪
ちなみに池の周りの道は
千代の古道(ちよのふるみち)と言って
平安時代の貴族がお月見などの際に
通った道といわれています
広沢池は多くの歌人が訪れては
和歌や俳句が詠まれた場所でも
あるんですね
■和歌
・後鳥羽法皇(ごとばほうおう:第82代天皇)
広沢の 池に宿れる月影や
昔をてらす 鏡なるらむ
・西行(さいぎょう)
宿しもつ 月の光のををしさは
いかにいへども 広沢の池
・平忠度(たいらのただのり)
あれにける 宿とて月はかわらねど
昔の影は なほぞこひしき
・源頼政(みなもとのよりまさ)
いにしへの 人は汀(みぎは)に影たえて
月のみすめる 広沢の池
■俳諧(はいかい)
・岡田野水(おかだやすい)
広沢や 背負うて帰る 秋の暮れ
・木村文邦(きむらぶんぽう)
広沢や ひとり時雨るる(しぐるる) 沼太郎
・松尾芭蕉(まつおばしょう)
名月や 池をめぐりて 夜もすがら
・与謝蕪村(よさぶそん)
水涸れて 池のひづみや 後の月
和歌を見ると歴史を感じたんじゃないでしょうか
この他にも多くの歌人が
広沢池で和歌を詠んでいますので
ご興味のある方は調べてみてくださいね
そして、多くの歌人に愛された
広沢池では京都の風物詩にもなっている
行事がありますので
最後にご紹介しておきます♪
毎年8月16日の大文字の送り火の際には
広沢池で灯篭流しが行われます。
先祖や水子を供養する為に戦後始められ
赤、青、緑、黄、白の仏の5つの智恵を表す
五色の灯篭を小船から広沢池に流すんですね
※詳しくは、※詳しくは広沢池灯篭流し 2012(広沢池・児神社)をご覧下さい。
・鯉揚げ(こいあげ)
12月の風物詩、鯉揚げで水が抜かれ状態
毎年12月上旬に池の水を抜いて
底に溜まった泥をさらい
春に放流した鯉(こい)や
鮒(ふな)の稚魚等を収穫する
鯉揚げが行われます
鯉揚げで捕れた魚が売られている様子
という事で今回は
日本三沢の1つに数えられる
広沢池をご紹介しました
広沢池の場所はコチラ↓