今回ご紹介するのは
京都市中京区壬生(みぶ)の
梛神社(なぎじんじゃ)境内にある
隼神社(はやぶさじんじゃ)で行われた
例祭(れいさい)・火焚祭(ひたきさい)です!
隼神社の例祭は11月17日なんですけれど
現在は、毎年11月の第3日曜日に行われ
例祭に続いて火焚祭も行われているんですね
火焚祭では火床が2つ
用意される事で知られていて
これは、隼神社と梛神社の
2つのお社の火焚祭という
事なんだと思います。
2つの火床
ちなみにお火焚は、主に旧暦の11月に
神社やお寺、または民間等で行われる
火祭(ひまつり)の事なんですね
お火焚の起源は
神楽の際に焚く篝火(かがりび)の
庭燎(にわび)や
秋に取れた収穫物に感謝する収穫祭の
新嘗祭(にいなめさい)といわれています
神社で、お火焚をする場合には
社殿の前に願い事の書かれた
火焚串(ひたきぐし)や護摩木(ごまぎ)等を
組んで、お炊き上げをし
五穀豊穣(ごこくほうじょう)に
感謝すると共に
無病息災や家内安全を祈願すると
いうものなんですね~
場所によっては、お神楽(かぐら)や
湯立神事(ゆたてしんじ)が行われたり
火が衰えてきた火床にミカンや
饅頭(まんじゅう)を投げ入れ
参拝者に授与してくれたりします
ここで梛神社と隼神社についても
簡単にご紹介しますと・・・
梛神社は
元祇園社(もとぎおんしゃ)とも呼ばれ
祇園祭が行われている
『八坂神社(やさかじんじゃ)』の
起源となった神社なんですよ~
つまりどういう事なのかと言いますと・・・
平安時代に疫病が流行った際に
その疫病を鎮めようと
『神泉苑(しんせんえん)』で
御霊会(ごりょうえ)が行われました
当時は、疫病の原因が
怨霊の仕業であると信じられていた事から
怨霊を鎮めれば、疫病も鎮まると
考えられていたんですね
そして、播磨国(はりまこく・現在の兵庫県南姫路市)から
牛頭天王(ごずてんのう)の神霊を勧請し
祇園社(現・八坂神社)に
66本の鉾を立てて行列したといわれています。
この時、祇園社の精舎(仏教施設)を
建立するんですけれど
その精舎が出来るまでの間
祭祀(さいし)した場所が
この梛神社だったというワケです
かつては境内に数万本の
梛の木があったそうで
牛頭天王の御霊を乗せた神輿を
梛の森に祀ったといわれているんですね♪
そして祇園社の精舎が出来ると
牛頭天王の分霊が移される事となったんですけれど
その時、地域の方達が
花を飾った風流傘(ふりゅうがさ)や
鉾を振って音楽を奏で
お神輿を八坂へと送り届けたそうです
この風流傘が祇園祭の
『傘鉾(かさほこ)』の
起源になったとも
いわれているんですよ
隼神社
隼神社は、もともともう少し北の場所に
あったそうですけれど
大正時代に梛神社境内に遷されました
江戸時代には『はやぶさ』という名が
『ハヤクサ』に訛って
そこから瘡・瘡神(くさのかみ)と結び付いて
瘡毒(そうどく・梅毒や腫れ物・疱瘡等)
平癒祈願が行われていたそうです!
それでは、早速レポートしていきましょう
※写真は過去のものを使っています。
梛神社の境内
午後16時頃、梛神社の境内に着くと
梛神社と隼神社が並び立つ
ちょうど真ん中あたりの前に
2つの火床が用意されていました
しばらくすると隼神社の例祭が始まります。
ちなみに例祭とは
その神社で最も大切な神事なんですね
まずは、神様をお迎えするにあたって
修祓(しゅばつ)が行われ
罪や穢れ(けがれ)を祓います
神様は罪や穢れお嫌いなんですよ♪
そして境内に用意された火床にも
きちんとお祓いします!
火床のお祓いをしている様子
続いて再び本堂に戻り
祝詞奏上(のりとそうじょう)や
玉串による拝礼である
玉串奉奠(たまぐしほうてん)が
行われます
祝詞奏上(のりとそうじょう)
そして例祭が無事にお納めされると
神職や氏子の方々が火床の前に来られて
お火焚祭が行われます!
ご神火で火床に火が点けられている様子
本殿からのご神火で
火床に火が点けられると
神職の方々が大祓詞 (おおはらえことば)を
唱えられます
大祓詞 (おおはらえことば)を唱えています。
この大祓詞というのは
奈良時代から続く
祝詞(のりと)の1つで別名
『中臣の祓(なかとみのはらえ)』
と、言うそうですよ。
神道における罪や穢れを祓うために
唱えられるものなんですね♪
その後、お火焚も無事にお納めされました!
という事で隼神社の例祭と火焚祭を
ご紹介しました!
隼神社の梛神社の場所はコチラ↓