今回ご紹介するのは
京都市南区の上鳥羽(かみとば)にある
![實相寺(じっそうじ:実相寺)](2015/08/25/01/2015-08-25-1.jpg)
實相寺(じっそうじ:実相寺)です!
こちらの實相寺は
山号を正覚山という日蓮宗のお寺で
1364年に日像(にちぞう)の
弟子にあたる妙実が開創をし
その後、妙覚寺(みょうかくじ)の
隠居所となったそうです
![正覚山と書かれた額](2015/08/25/01/2015-08-25-4.jpg)
本堂に掛けられている正覚山と書かれた額
創建当初は真言宗の寺院だったみたいですよ
妙実は、1352年の夏の日照りの際に
勅命によって桂川(かつらがわ)の
鍋ヶ淵(なべがふち)で僧100人による
請雨(しょうう:雨乞い)の祈祷を行い
その時、大いに効果があった事から
實相寺を開創するに至ったそうです
![表札](2015/08/25/01/2015-08-25-2.jpg)
ちなみに日像と言えば
京都の夏の風物詩である
五山の送り火で点火される『妙法』の
『妙』の字を書いた人物として有名です
※五山の送り火について詳しくは、大文字 2010、大文字 2011の記事をご覧ください。
中世に入ると不受不施派
(ふじゅふせは)に連座した事で弾圧を受け
その後、約50年間は
回復する事はありませんでした
※不受不施派とは、日蓮宗不受不施派以外の宗派や僧侶には施しをせず、また施しを受けないという団体の事。
そして江戸時代、京都出身の俳人
歌人として知られる
松永貞徳(まつながていとく)の兄が
住職となってから
お寺は再興したといわれているんですね
![梵鐘](2015/08/25/01/2015-08-25-8.jpg)
境内にある梵鐘
松永貞徳が亡くなった後
松永貞徳の菩提寺となったそうで
旧宅である『蘆の丸屋(あしのまろや)』を
移建したともいわれています
その後、蘆の丸屋は
第二室戸台風等で倒壊し
再建はされてはいません
それでは早速、中に入っていきましょう
![山門](2015/08/25/01/2015-08-25-1.jpg)
山門
まず、こちらの山門をくぐると
目の前には本堂があります
![本堂](2015/08/25/01/2015-08-25-3.jpg)
本堂
こちらの本堂の中には
ご本尊である十界大曼陀羅
(じっかいだいまんだら)が
安置されているんですね
また、妙実が祈雨祈願の際に
造ったとされる木像の
日蓮坐像(にちれんざぞう)も
安置されているそうですよ
この日蓮坐像は
妙実が祈雨祈願の際に
お伺いを立てたところ
なんと3回うなずいたといわれ
この事から『日蓮うなずきの像』とも
呼ばれているんですね~
![雨乞い祈願成就の伝承が刻まれた卒塔婆](2015/08/25/01/2015-08-25-9.jpg)
雨乞い祈願成就の伝承が刻まれた卒塔婆
そしてその本堂の左手には
大きな卒塔婆が建っていて
これには雨乞い祈願成就の伝承が
書かれているものなんだそうです
こちらは境内で保存されている
車石(くるまいし)です
![車石](2015/08/25/01/2015-08-25-5.jpg)
車石
車石というのは
輪型石(わがたいし)ともいわれる
牛や馬が引く牛馬車の
車輪の幅に合わせて造られた
凹状の舗石の事なんですね♪
写真をよく見ると
真ん中がへこんで溝が出来ているのが
わかるかと思います
![凹状の舗石](2015/08/25/01/2015-08-25-6.jpg)
凹状の舗石
この車石を道路に二列敷いて
その上を牛馬車が通ったというワケです
![牛車が車石の上を通っている様子](2015/08/25/01/2015-08-25-7.jpg)
牛車が車石の上を通っている様子が描かれています。
土道であった為に
車石が無かったときは
雨でも降って道がぬかるんでしまうと
牛馬車がスムーズに
通る事が出来なかったみたいなんですね。
そこで車石を敷いておけば
雨の日にたとえ道がぬかるんだとしても
スムーズに道を通る事が出来るというワケです
これはとっても便利な
アイテムじゃないでしょうか♪
そして最後にご紹介するのは
境内墓地にある
松永貞徳のお墓です
![逍遊軒貞徳居士と刻まれています。](2015/08/25/01/2015-08-25-10.jpg)
逍遊軒貞徳居士と刻まれています。
という事で今回は
南区の上鳥羽にある實相寺を
ご紹介しました~
實相寺の場所はコチラ↓