今回ご紹介するのは
京の六地蔵めぐりです!
京の六地蔵とは、平安時代に
小野篁(おののたかむら)が冥土から蘇った際
亡者を救っている地蔵菩薩を見て大変感激し
この高徳を広めようと
木幡山(こはたやま・現在の伏見区にある大善寺あたり)の
桜の一木から六体の地蔵を彫ったものといわれています
その後、篁が彫った6体の地蔵尊は
後白河法皇(ごしらかわほうおう・第77代天皇)の命で
平清盛(たいらのきよもり)が
西光法師(さいこうほうし・後白河法皇の側近)に命じて
都の入り口である街道の6ヶ所に
六角堂を建てさせ地蔵菩薩を一体ずつ安置し
祀ったといわれているんですね
京都の入り口にあたる場所それぞれに
地蔵尊を安置する事で
都に邪気が入ってくるのを防いだり
旅の安全をお願いしたというワケなんですよ
そしてそんな六地蔵を巡るのが
京の六地蔵めぐりというわけです!
毎年、8月22日~23日に
6つの街道に安置された地蔵菩薩を巡礼し
家内安全、無病息災等のご利益を得るんですね
そしてそれぞれの場所で
六地蔵尊お札を頂き
それを家の玄関の入り口に吊るして
1年中の厄病退散や福徳招来の
護符とするんですよ♪
では早速いってみましょう~
■伏見六地蔵(奈良街道)
場所:大善寺(だいぜんじ) 伏見区桃山町西町24
伏見六地蔵を安置する大善寺は
奈良時代の705年(慶雲2年)
藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の息子である
定恵(じょうえ:定慧とも)によって
創建されました
篁が彫った六体の地蔵尊は
初めここに全て安置されていたようで
その為、通称、六地蔵と呼ばれ
六地蔵信仰の発祥の地と知られています
■鳥羽地蔵(西国街道)
場所:浄禅寺(じょうぜんじ) 南区上鳥羽岩ノ本町93
鳥羽地蔵(とばじぞう)を安置する浄禅寺は
平安時代末期の1182年(寿永元年)に
北面の武士だった遠藤盛遠(えんどうもりとお)である
文覚(もんがく・僧)が開いたといわれています
盛遠は、源渡(みなもとのわたる)の妻である
袈裟御前(けさごぜん)に恋をし
彼女に対して、渡と別れるよう激しく迫りました
その結果、袈裟御前は、渡を守る為
また自分の貞操を守る為に盛遠を騙して
自分を殺させたという悲しい話が伝わっています
盛遠は自分の行いを悔いて出家し
文覚と名を改め
袈裟御前の首を塚に埋め菩提を弔ったといわれ
そのお寺が浄禅寺なんですね。
この事から浄禅寺の事を
恋塚浄禅寺(こいづかじょうぜんじ)と呼ぶそうです
■桂地蔵(丹波、山陰街道)
場所:地蔵寺(じぞうじ) 西京区桂春日町9
桂地蔵(かつらじぞう)が安置される地蔵寺は
平安時代に桂大納言と称された
源経信(みなもとのつねのぶ)の
『河原堂山荘』の跡地に
薬師如来を安置したのが
始まりといわれています
六地蔵巡りの1つに数えられる
桂地蔵は、六地蔵の中でも
最も大きな地蔵尊といわれているんですよ
■常盤地蔵(周山街道)
場所:源光寺(げんこうじ) 右京区常盤馬塚町1
常盤地蔵(ときわじぞう)を安置する源光寺は
源義経(みなもとのよしつね)の母である
常盤御前(ときわごぜん)の営んだ
常盤院の庵のあった場所のようで
それを1778年(安永7年)に
真錐尼が臨済宗に改めたんだそうです
六地蔵巡りの1つに数えられる
常盤地蔵(常盤谷地蔵)は、上善寺の
姉子地蔵(あねごじぞう)に対して
乙子地蔵(おとごじぞう、おとこのじぞう)と
呼ばれています
■鞍馬口地蔵(鞍馬街道)
場所:上善寺(じょうぜんじ) 北区鞍馬口通寺町東入上善寺門前町338
鞍馬口地蔵(くらまぐちじぞう)を安置する上善寺は
863年(貞観5年)に
遣唐使(けんとうし)として唐にも渡った高僧
慈覚大師(じかくだいし)円仁(えんにん)が
天台宗の道場として千本通今出川に
創建したのが始まりといわれています
六地蔵巡りの1つに数えられる
鞍馬口地蔵は、明治の初め頃まで
洛北の深泥池畔に安置されていたそうで
そのため深泥池地蔵とも呼ばれたりするんですよ
また、源光寺の乙子地蔵に対して
姉子地蔵とも呼ばれるようです。
■山科地蔵(東街道)
場所:徳林庵(とくりんあん) 山科区四ノ宮泉水町16
山科地蔵(やましなじぞう:四ノ宮地蔵とも)を
安置する徳林庵は、室町時代の
天文年間(1532~1555年)に
雲英正怡(うんえいしょうい)が
仁明天皇(にんみょうてんのう:第54代天皇)の
第四皇子である人康親王(さねやすしんのう)の
菩提を弔う為に創建したと伝わっています
人康親王は、病気によって失明していた事から
この辺りに隠棲したそうです
琵琶法師の祖としても知られ
江戸時代には『盲人・座頭の祖神』
とも呼ばれて崇められています
という事で本日は
『京の六地蔵めぐり』を
ご紹介させて頂きました
場所はコチラ↓