今回ご紹介するのは
京都市左京区の上高野(かみたかの)にある
宝幢寺(ほうとうじ、ほうどうじ)で行われた
上高野念仏供養踊(かみたかのねんぶつくようおどり)です!
現在は廃寺となっている称名寺というお寺で
949年(天暦3年)に始まったもので
京都市指定の無形民俗文化財に
登録されている踊りなんですね
「称名寺発祥 念仏供養踊り」と書かれたのぼり
現在は、毎年8月19日の夜に
宝幢寺で行われていて
境内斎場の中央に設けられた
施餓鬼台(せがきだい)を囲んで
地域でこの1年の間に亡くなられた方を偲び
女性がおそろいの浴衣に
前垂れ(まえだれ:帯の下に掛ける布)
赤色のたすき、赤色の緒の草履
右手に揃いの団扇(うちわ)といった姿で
太鼓や鉦の音に念仏を唱えながら
施餓鬼台を中心にして
円を描くよう踊るというものなんですよ!
念仏供養踊りと書かれた提灯
そんな上高野念仏供養踊なんですけれど
大正末期に一度
途絶えてしまった事があるそうで
その後、当時を知る地元の方々の手によって
1988年(昭和63年)に復活させる事が
出来たんだそうです
ここで宝幢寺についても
簡単にご紹介をしますと・・・
宝幢寺
宝幢寺は浄土宗のお寺で
寛永年間(1624~1644年)に
旭移(きょくい)によって
建てられたといわれています
本堂
本堂にはご本尊である
阿弥陀如来立像が安置され
こちらは善光寺(ぜんこうじ)を
写したものなんだそうですよ
それでは早速、レポートしていきましょう
午後20時頃に宝幢寺に着くと
境内には大勢の方がいらっしゃいました
踊りに参加するお揃いの浴衣の女性や
ご家族の方、カメラを持った方といった
様々な人がいる感じですね
境内もこの日に合わせて
提灯やライトアップされています
境内の斎場に行き、しばらくすると
マイクで上高野念仏供養踊の
説明等が行われ
続いて、地域で1年の間に亡くなられた
新仏(あらぼとけ)の為に
お坊さんによる回向(えこう)が
始められました。
回向(えこう)の様子
ちなみに新仏というのは
死後初めてのお盆に供養される
亡くなられた方の事です。
そして回向というのは
自分が得た功徳を他の人に与える事や
また、成仏を願って
亡くなられた方に対する追善供養をする事なんですよ
回向の最中は、手を合わせています。
回向の後、代表者の方による
ご焼香が上げられ
上高野念仏供養踊が始められます!
上高野念仏供養踊を始めるにあたって
まず太鼓を3回打ち鳴らし
「念仏踊りが始まる程に
なたらつらって踊ってたもれ!」
と、口上が述べられるんですね
そして太鼓、鐘の音に合わせて
念仏が唱えられ上高野念仏供養踊が
始められます
浴衣に前垂れ
赤いたすきに赤い緒の草履
そして左手に団扇を持った女性が
南無阿弥陀仏の念仏を唱えながら
円を描くように踊るんですね
お揃いの団扇
1度目の上高野念仏供養踊を踊った後
施餓鬼台で新仏の身内の方がご焼香を上げ
その後、一般の方のご焼香が行われました
そして再び上高野念仏供養踊が行われます
2度の上高野念仏供養踊が行われた後
中央に設けられていた施餓鬼台を片付け
代わりに櫓(やぐら)を設置し
今度は江州音頭(ごうしゅうおんど)が
行われるんですね
櫓(やぐら)を設置している様子
江州音頭は主に近畿地方の
盆踊りに使われる音頭なんですよ
江州とは近江国(おうみのくに:現在の滋賀県)の別称です。
江州音頭の様子
という事で今回は
宝幢寺で行われた上高野念仏供養踊を
ご紹介しました
宝幢寺の場所はコチラ↓