今回ご紹介するのは

京都市西京区にある


革嶋春日神社(かわしまかすがじんじゃ)

革嶋春日神社(かわしまかすがじんじゃ)です!


革嶋春日神社は

鎌倉時代初期に近衛基通(このえもとみち)との縁で

近衛家の荘園管理の実務を行う

下級職員の下司(げし)として

この地域、革嶋荘に居住した革嶋氏が

春日大神を勧請して創建したと伝わっています


説明書き

これは近衛基通が藤原氏という事で
春日神社を勧請したのではないかと
いわれているんですね


革嶋春日神社のある辺りは

革嶋氏の居城である

革嶋城(かわしまじょう)のあった場所と

されているんですけれど

残念ながら、その遺構は現在何も残されていません


革島春日神社と書かれた額

革島春日神社と書かれた額


ちなみに革嶋氏は、もともと
清和源氏(せいわげんじ)の流れをくむ
佐竹氏(さたけし)の出身で
革嶋荘の荘官となった事で
革嶋姓を名乗ったといわれています


後に鎌倉幕府に従って御家人(ごけにん)となり

下司職から地頭(じとう)の地位を獲得し

この地域を領有したんですね


※地頭とは、鎌倉幕府や室町幕府が荘園を支配する為に設置した職の事。荘園領主が勝手に免ずる事が出来ない為、荘園領主の支配権を奪い自立する事もしばしばあったそうです。


その後も革嶋氏は飛躍し

広大な範囲を支配するようになったんですけれど

戦国時代、三好三人衆(みよしさんにんしゅう・三好氏の一族)の

岩成友通(いわなりともみち)によって

所領を没収されてしまったそうです


その後、織田信長(おだのぶなが)が
入京を果たすと旧領に復帰し
土地を安堵されたんですけれど
1582年(天正10年)に起こった
本能寺の変によって信長が自刃した後
明智光秀(あけちみつひで)に
付いたという事で
豊臣秀吉(とよとみひでよし)によって
再び所領を没収されてしまうんですね


江戸時代に入り

郷氏として先祖伝来のこの地に屋敷を構え

鷹司家に奉仕して、再出発を計る事になったそうです


今でも子孫がこの地に住んでいて
鎌倉時代から伝わる革嶋家文書1630点等
貴重な資料が残されているんですよ


それでは中に、入っていきましょう


鳥居

こちらの鳥居をくぐると

左手にお社があります


革嶋春日神社

お社の前には唐獅子像があるんですけれど
どちらも同じ形をした像となっていました!


右側の唐獅子像

左側の唐獅子像


唐獅子像の多くは狛犬のように

阿吽(あうん)の形になっていないみたいなんですね


革嶋氏の家紋である五本骨扇に月丸


唐獅子像の台座の部分には

革嶋氏の家紋である

五本骨扇に月丸が彫られていましたよ


こちらは本殿の前にあった鹿の像です。


鹿の像

春日神社の神様の

お使いと言えば鹿ですよね


そしてこちらが本殿になります


本殿

本殿


本殿には御祭神である

春日大神がお祀りされています


春日大神とは

・建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)

・伊波比主命(いわいぬしのみこと)

・天児屋根命(あめのこやねのみこと)

・比売神(ひめがみ)

の事です。


そして本殿の左側には


稲荷社

稲荷社


お稲荷さんもお祀りされていました


しかも狐が金色


金色の狐

金色の狐は初めてみたように思います!


という事で今回は革嶋氏ゆかりの

革嶋春日神社をご紹介しました~


革嶋春日神社の場所はコチラ↓

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