今回ご紹介するのは
京都市西京区の下津林(しもつばやし)にある
五社神社(ごしゃじんじゃ)です!
近くには桂離宮があるエリアになりますよ
五社神社の創建については
詳しくわかっていないそうなんですけれど
本殿前の石灯籠に暦應二年(1339年)と
刻まれている事から
中世、南北朝時代には
成立したと考えられています
2012年(平成24年)3月30日には
神社の本殿が京都市登録有形文化財に
境内は文化財環境保全地区に
指定されたんですね~
それでは早速、中に入っていきましょう
一ノ鳥居
こちらの一ノ鳥居をくぐって
長い参道をまっすぐ歩いていくと
ニノ鳥居が出てきます
ニノ鳥居
ニノ鳥居の側には大きな楠がありました
大楠
こちらは茅葺の能舞台です!
能舞台
能舞台は割拝殿(わりはいでん)と
渡り廊下で繋がっているんですね
割拝殿
ちなみに割拝殿というのは
通常の拝殿と違って2つに分かれ
その間を人が通れるようになっているんですよ
そして、こちらが本殿です
本殿
本殿は、正面の柱間が1つである
一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で
1809年(文化6年)に建てられたものなんだそうです。
こま札によれば本殿は
奥行きに比べて、間口の広く
身舎側面中央柱の柱頭に独特な納め方がある等
平面形式や構造技法に独自性がある
珍しいものなんですね
建築年代も明らかで保存状態も良い事から
京都市登録有形文化財に登録されました
そして本殿には、ご祭神である
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)や
天手力男命(あめのたぢからおのみこと)等の
10柱をお祀りしているそうです!
また、5体の神像を4尺の舟の中に
並べてお祀りしているんですよ
※1尺は約30.3cmです。
ちなみに天手力男命は
天照皇大神が天の天岩戸(あまのいわと)に
隠れてしまった際に
岩戸の扉を放り投げた神様として知られています
こちらは旧永福寺の観音堂です。
旧永福寺の観音堂
1467年(応仁元年)の
応仁の乱(おうにんのらん)の際に兵火を逃れて
ここ五社神社にお堂が建てられたといわれています。
十一面観音を本尊とし、西の岡三十三所
(にしのおかさんじゅうさんしょ)の
第二十一番札所だったみたいですけれど
明治時代の神仏分離令
(しんぶつぶんりれい)によって
1879年(明治12年)に
近くにある長福寺に合併されたそうです。
※神仏分離令について詳しくは、お別れ地蔵の記事をご覧ください。
その後、五社神社境内には観音堂として
十一面観音をお祀りするお堂が残されました
けれど1995年(平成7年)に起こった
阪神淡路大震災で十一面観音が損傷すると
十一面観音も長福寺に移したんだそうです
このような経緯で現在は
お堂だけが残されているというワケなんですね。
境内に安置されている役行者像
そんな五社神社では毎年3月になると
子供の健やかな成長や五穀豊穣を願う
御当祭(おとうさい)が行われています
御当祭(おとうさい)の様子
という事で今回は下津林にある
五社神社をご紹介しました~
五社神社の場所はコチラ↓