今回ご紹介するのは
京都市上京区の西陣(にしじん)にある
![浄福寺(じょうふくじ)](2015/06/09/01/2015-06-09-1.jpg)
浄福寺(じょうふくじ)です!
浄福寺は
恵照山と号する浄土宗のお寺で
延暦年間(782~806年)に
桓武天皇(かんむてんのう:第50代天皇)の勅命によって
興福寺(こうふくじ:奈良)の賢憬(けんけい)が
鬼門除け!として京都御所の東北に
創建したのが始まりなんだそうですよ~
![こま札](2015/06/09/01/2015-06-09-18.jpg)
また、一方で
平安時代前期の女御(にょうご・女官)である
班子女王(はんしじょうおう)が
山城国葛野郡(やましろのくにかどのぐん)に
創建したのが始まりともいわれています
当初は天台宗のお寺だったそうです。
その時は、平安時代に存在していた
25の大きなお寺の総称
『二十五大寺(にじゅうごだいじ)』の1つに
数えられる程、壮大な大きさだったんですね~
けれどその後、何度も火災に遭い
1276年(健治2年)に
後宇多天皇(ごうだてんのう:第91代天皇)の命により
一条村雲(いちじょうむらくも:現在の京都御苑西側辺り)に
再建されました
その事から『村雲寺』と
呼ばれる事もあるようです
その後も移転を繰り返し
現在地へは1615年(元和元年)に
移ってきたみたいですね
そんな浄福寺は
薩摩藩(さつまはん)ゆかりのお寺としても
知られているんですよ
簡単にご紹介しますと・・・
安土桃山時代
豊臣秀吉(とよとみひでよし)の
朝鮮出兵に反対した
薩摩の島津歳久(しまづとしひさ)は
その事で自刃に追い込まれ
一条戻り橋に首を晒されたといいます
その後、島津の人々の手によって
首を盗み出すことに成功し
首をここ浄福寺に埋葬したんですね
それ以降、浄福寺は
薩摩藩にとって大切な場所となり
薩摩藩が入京した際には
下級藩士の宿所になっていたそうです
※下級藩士は、『浄福寺党』と呼ばれていました。
また柱には彼らがつけたとされる
刀傷が残っていたりするんですね~
ちなみに浄福寺は
『日本最古の違法建築の寺』としても知られ
江戸時代、幕府から出された
三間梁規制(さんげんはりきせい)という
建築に関する御触書に
違反していたんだそうです
この話は、とーっても気になると思うんですけれど
その話はまた後ほどするとしまして
まずは中に入っていきましょう
![赤門](2015/06/09/01/2015-06-09-17.jpg)
こちらは『赤門』と呼ばれる東門で
天正年間(1573~1592年)の建立と伝わる
四脚門(しきゃくもん)です!
※四脚門とは、門柱の前後に控柱(ひかえばしら)を2本ずつ建てた造りで合計で6本の柱がある格式の高い門の事です。上から見ると『H』の形をしています。
全体に朱塗りが施されているから
『赤門』と呼ばれているというワケなんですね
ちなみに、この赤門にちなんで
浄福寺の事を『赤門寺』とも呼ぶそうですよ
浄福寺は、村雲寺に赤門寺
日本最古の違法建築の寺と
いくつもあだ名があるんですね~♪
そんな赤門に面白いお話が
残されているのでご紹介します
それは1788年(天明8年)に起こった
天明の大火(てんめいのたいか)での事。
天明の大火と言えば
京都を火の海に包んだ事件として有名ですけれど
浄福寺にも火の手が迫ると
なんと赤門の上に鞍馬天狗(くらまてんぐ)が現れ
団扇(うちわ)で扇いで火を消したと伝わっているんですね~
![護法堂](2015/06/09/01/2015-06-09-14.jpg)
護法堂
このようなエピソードから赤門をくぐって
すぐ右手にある護法堂には
大火からお寺を守った鞍馬天狗が祀られています♪
![鞍馬天狗が祀られています。](2015/06/09/01/2015-06-09-15.jpg)
境内には、鞍馬天狗がとまったと伝わる
クロガネモチの木や
天狗の団扇が描かれた額がかけられていましたよ!
![団扇の額](2015/06/09/01/2015-06-09-16.jpg)
団扇
その護法堂の隣に宝蔵があり
![宝蔵](2015/06/09/01/2015-06-09-9.jpg)
宝蔵
向かいには千本薬師があります
![千本薬師](2015/06/09/01/2015-06-09-10.jpg)
千本薬師
そしてこちらは1756年(宝暦6年)に
再建された西陣釈迦堂です!
![西陣釈迦堂](2015/06/09/01/2015-06-09-9.jpg)
西陣釈迦堂
釈迦堂の中には
涅槃図(ねはんず)等があるんですね~♪
その釈迦堂からは本堂の横の姿が見えます。
冒頭でも触れました
『日本最古の違法建築の寺』と
浄福寺が言われるのは、この本堂にあります!!
本堂を横から見ると
2つの建物があるように見えますけれど・・・
![横から見た本堂](2015/06/09/01/2015-06-09-8.jpg)
横から見た本堂
実はこちらの建物
中で繋がっているんですね!!!
つまり2つに見えるお堂は
実は1つだというワケです
どうしてそんな事をしているのかと言いますと
1668年(寛文8年)に幕府から出された
御触書の中の『三間梁規制』の為なんです。
三間梁規制は
建物の大きさを制限するもので
具体的には建物の梁行
(はりゆき:奥行き)の長さを
三間(約5.45メートル)までに
しなさいというものなんですね
ちなみに本堂は、この時既に
1730年(享保15年)に起こった
享保の大火(きょうほうのたいか)で
焼失していました
本堂を再建しようとしても
以前のような本堂は規制の対象になる為
建てる事が出来なかったんです
お寺の本堂ですから
檀家(だんか)さんを集めて
法要をしたりしますので
広くないといけませんよね?
けれど規制の為
以前のような広い本堂は作れません・・・
そこで考えついたのが
お堂を2つ建てて、後から中を繋ぎ
2つ分のお堂の広さを確保する
というものだったんです!
外からは2つのお堂にしか見えず
役人の目をごまかせると考えたワケです
発想の転換ですよね
確かに見た目は2つ分なんですけれど
結局は1つですから違法建築になるので
『日本最古の違法建築の寺』と呼ばれているんですよ!
![本堂](2015/06/09/01/2015-06-09-7.jpg)
本堂
そうして再建が進められる事になった本堂は
1733年に再建を果たし
後奈良天皇(ごならてんのう・第105代天皇)
より賜ったと伝わるご本尊
阿弥陀如来像が安置されています
阿弥陀如来像の胎内背部には
永長元年(1096年)の銘があるそうですよ
こちらは庫裏(くり)です!
![庫裏](2015/06/09/01/2015-06-09-13.jpg)
庫裏
お坊さん達が食事の支度等をするのに
用いられる場所ですよね。
こちらは梵鐘です!
![梵鐘](2015/06/09/01/2015-06-09-5.jpg)
梵鐘
そして、こちらは地蔵堂です。
![地蔵堂](2015/06/09/01/2015-06-09-3.jpg)
地蔵堂
地蔵堂には
引接地蔵(ひっぱりじぞう)と呼ばれる
お地蔵さんが安置されています!
人々の苦難を取り除いて
幸せの方に引っ張ってくれるといわれています♪
![引接地蔵(ひっぱりじぞう)](2015/06/09/01/2015-06-09-4.jpg)
引接地蔵(ひっぱりじぞう)
払うだけでなく幸せな方へと
導いてくださるなんて、ありがたすぎます
こちらは弁財天をお祀りしている
![弁財天社](2015/06/09/01/2015-06-09-2.jpg)
弁財天社です。
と、いうわけで今回は西陣にある
浄福寺をご紹介しました~♪
この他にも浄福寺には見所がたくさんありますけれど
通常は非公開となっている為
残念ながら見る事は出来ないんです
でも!特別拝観も行われているので
ご興味のある方は是非とも足を運んでみて下さいね
そんな浄福寺の場所はコチラ↓