今回ご紹介するのは
京都市東山区にある
良恩寺(りょうおんじ)です!
良恩寺は
1564年(永禄7年)に
青蓮院(しょうれんいん)の浄清が創建した
浄土宗西山禅林寺派のお寺で
山号を華頂山といいます
初めのうちは
天台宗のお寺だったそうなんですけれど
後に粟田口の惣堂
(そうどう:地域の公共的なお堂)となり
念仏堂や上之堂(かみのどう)とも
呼ばれるようになったそうです
江戸時代中頃には
華頂山(お寺の裏にある東山三十六峰の1つ)にあった
火葬場を管理していたそうです
それでは早速、中に入っていきましょう!
山門をくぐると右側に庫裏があり
左側に本堂があります。
本堂には
小野篁(おののたかむら)作と伝わる
ご本尊・阿弥陀如来(あみだにょらい)が
安置されているんだそうですよ。
そしてこの本堂の向い側にあるのが
引導地蔵(いんどうじぞう)と呼ばれる
お地蔵さんを安置している地蔵堂です
※ちなみに引導地蔵は伝教大師(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう)の作と伝わっています。
華頂山の中にあった火葬場を管理していた頃
葬列がこの地蔵さんの前を通る際に
極楽浄土へと行けるように引導を渡していた事から
このような名前で呼ばれるようになったと
いわれているんですね
引導地蔵です。
さて、そんな良恩寺には寺宝に
天下人、豊臣秀吉(とよとみひでよし)から
賜ったと伝わる手取釜(てとりがま)が
あるんですね~
ちなみに手取釜というのは
茶道で使う鉄瓶(てつびん)の原型で
湯を沸かす際に用いる
注ぎ口のついた鋳鉄製の容器の事なんです。
※イメージしにくい場合は、ヤカンを想像して下さい。
その昔、侘び茶人の
粟田口善法(あわたぐちぜんぽう)という人物が
この近くに草案を営んでいたみたいで
たまに近所の人に手取釜を使って
お茶を振舞ったりしていたそうです。
ある時、秀吉は
善法の持っている手取釜が
大変な名器である事を知り
千利休(せんのりきゅう)を通じて
献上するように言ったんですね
けれど善法は
愛用の手取釜を献上しては
今後、どのようにお茶を飲んだらいいのかと
かなり悩み、ある行動に出るんですね!
皆さんならどうしますか~?
善法は悩みに悩んだ末
遂に「こんなものがあるからいけないんだ!」と
手取釜を割ってしまったそうですよ
善法はまさに命がけだったと思うんですけれど
秀吉もまさか、そんな貴重な手取釜を
割ってしまうとは思いませんよね
その後、この話を秀吉が聞くと
「これは悪い事をしてしまった・・・」と悔やみ
割れた手取釜の写しを2つ造らせて
1つは秀吉が自分の物にして
もう1つは善法にあげたといわれています
もうお気づきと思うんですけれど♪
この秀吉が造らせ善法にあげた手取釜が
良恩寺に残されているというワケです
献上しろといった釜が献上されないばかりか
割られてしまったのにもかかわらず
その写しの釜を作ってあげるなんて
秀吉もなかなか粋な事しますよね
そんな良恩寺の場所はコチラ↓