今回ご紹介するのは
京都市東山区にある
善慧院(ぜんねいん)・明暗寺(みょうあんじ)です!
どうして2つのお寺の名前を一緒に書いてるの~?
と思った方もいると思うんですけれど
こちらのお寺は
善慧院であり、明暗寺なんです
といってもよくわかりませんよね
ですので、まずは善慧院の説明をしちゃいます♪
善慧院は
東福寺(とうふくじ)の塔頭寺院で
大永年間(だいえいねんかん:1521~1527年)
に彭叔守仙(ほうしゅくしゅせん)が創建し
1871年に明暗寺を合併したんだそうです。
こういった経緯から
2つのお寺の名前があるんですね
ここで明暗寺についてもご紹介しますと・・・
明暗寺は
普化宗(ふけしゅう)の総本山で
山号は虚霊山というそうです
ちなみに普化宗は
禅宗の1つで虚無宗(こむしゅう)とも呼ばれ
尺八を吹きながら遊行する
剃髪しない半僧半俗の
虚無僧(こむそう)が知られているんですよ。
テレビで時代劇を見た時に
編み笠を深く被り
尺八を吹いているお坊さんを
見た事ありませんか??
ずばり!
それが虚無僧なんです
その事から明暗寺は
『虚無僧寺』とも呼ばれたそうです♪
そんな明暗寺は
明暗尺八根本道場として知られ
もともとは鎌倉時代末期に
天外明普(てんがいめいふ)が
普化尺八の開祖である
虚竹了円(こちくりょうえん)を開山として
北白川に創建したといわれています。
その後、明暗寺を本寺として
尺八を修行の1つとする
『尺八吹簫禅(しゃくはちすいしょうぜん)を
広めていくんですね~
ちなみに尺八とは
木管楽器の一種で
ちょうど高校生の頃に使った
アルトリコーダーがあると思うんですけれど
大きさもあれくらいなんです。
名前の由来は、通常の尺八の管長が
一尺八寸(約54.5cm)で
ある事からなんだそうですよ
※アルトリコーダーが約50cmです。
江戸時代には幕府から
普化宗だけが尺八を扱う事を許されたり
関所の自由通過などといった
特権が与えられ絶大な権力を
持っていたみたいです
でも、いい時って長くは続かないのが
世の常ですよね
幕末になると普化宗のトップが
王政復古の大号令(おおせいふっこのだいごうれい)に
関与していた事から幕府の怒りをかって
トップ数人の首が飛んだといわれています
さらに時代が明治に変わると
幕府との癒着問題や
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)などが重なって
廃宗、廃寺となったとそうです
※廃仏毀釈について詳しくは、お別れ地蔵の記事をご覧ください。
その時にお寺の
本尊である虚竹禅師像や
歴代の霊碑等の寺宝は
善慧院に託したといわれています
その後、1890年(明治23年)に
普化尺八の徳を慕う人々によって
善慧院(ぜんねいん)にて
『明暗教会』として復活し
1950年(昭和25年)には
『宗教法人普化正宗明暗寺』として
再興したんですね
そんな善慧院・明暗寺は
通常非公開のお寺なんですけれど
京都出身の尺八(しゃくはち)奏者だった
谷北無竹(たにきたむちく)の法要が行われる
無竹忌の様子です。
『無竹忌(むちくき)』の日には
お寺に参拝する事が出来るんですよ~
前置きが随分長くなりましたけれど
中に入っていきましょう♪
山門には
善慧院と明暗寺の両方の寺名が
かかっていました。
明暗寺は善慧院のお堂を
間借りしているような状態なんですね
こちらは山門をくぐった先にある
『吹禅』と刻まれた石碑です。
そして境内には
苔が絨毯のように生えた
美しい枯山水式庭園がありました
こちらは本堂横にある弁天堂です。
弁天堂
こちらは本堂です。
本堂
またこの他にも
境内には尊攘運動家として知られる
吉井義之(よしいよしゆき)のお墓も
あるそうですよ。
普段あまり尺八の音色って
耳にしないと思うので
1度でいいから聞いてみたい人や
尺八に興味のある人は
訪れてみてはいかがでしょうか
※ちなみに毎年11月には全国尺八コンクール大会が開かれているので気になった方は日本尺八連盟で調べてみてください。
そんな善慧院・明暗寺の場所はコチラ↓