今回ご紹介するのは

京都市左京区の蹴上(けあげ)にある


義経大日如来(よしつねだいにちにょらい)

義経大日如来(よしつねだいにちにょらい)です!


こちらは琵琶湖疏水を利用した

蹴上インクラインの先にある

お地蔵さんなんですよ


台車

インクラインで使われていた台車


レール

レール


南禅寺の裏手にあたり

春には桜が綺麗な名所です♪

※琵琶湖疎水について詳しくは、田辺朔朗博士像の記事をご覧ください。


お地蔵さんの名前に

『義経』の名がついている事からもわかる通り


義経大日如来と刻まれています。


あの源義経(みなもとのよしつね)に

所縁があるんですね

※源義経について詳しくは、源義経ゆかりの地巡りの記事をご覧ください。


何でも義経が奥州に旅立つ際

日向大神宮にお参りにいった後

九条山付近で平家の人間数人と

すれ違ったそうなんです



けれどその時に

平家である
関原与一重治(せきはらよいちしげはる)の馬が
運悪く雨が降った後に出来ていた
水溜りの泥水を蹴り上げ
なんと!
義経にかけてしまったんですね


それに激怒した義経は

その無礼さを与一に問いただしたみたいなんですけれど

やがて口論になり

結局、与一以下9名を

その場で斬り殺しちゃったんですね~


それ以降この場所の事を
蹴上といったそうですよ


これまでの義経の話で

イメージと違う!!

と思っている人もいると思うんですけれど・・・

さらに続きがありまして

義経は殺しただけでは怒りが収まらず

与一の鼻と耳を削いだという話も残されています


そして

「これから奥州に行くのに幸先のいい門出じゃ!!」

とまで言い残したと言われているんですね


その後、殺された9人は

地元の人たちによって弔われ

9体のお地蔵さんが安置されたそうです


ちなみにその9体のお地蔵さんを安置した場所を

かつては九体町(現在の御料岡町あたり)と

いったそうです


そして現在、お地蔵さんは残念ながら

9体のうち3体しか現存していないんですけれど

その1体がこの義経大日如来と

伝わっているんですね


ちなみに残りの2体はというと・・・

地元の方によれば


蹴上口にある大日如来

蹴上口にある大日如来


蹴上口にあるこちらのお地蔵さんだといわれています。


ちなみにもう少し義経の話をすれば

その後、義経は血のりのついた刀を
山科御陵にあった池で洗ったといわれ
その池は現在無くなっているんですけれど
かつては血洗い池と呼ばれていたみたいです

※現在でも池のあったあたりの地名は血洗い町といいます。


この蹴上の話は

雍州府志(ようしゅうふし・地誌)という

江戸時代初期に書かれた本や

後に出された山城名勝志(やましろめいしょうし)

都名所図絵(みやこめいしょずえ)等にも掲載されていて

いずれも義経が京都で斬り殺したという話となっています


けれど一方で謡曲『関原与一』によると
少し話が違っていまして
実は京都の蹴上の話ではなくて
関ヶ原の合戦で有名な
あの関ヶ原町での話になっています。


それによると与一は旅を急いでいたあまり

義経に泥を跳ね上げ

それが元で義経と口論になり

結局、義経に殺されてしまったというものです。


与一は関ヶ原町に用水路を作る予定だったんですけれど

死んでしまった為に完成しなかったそうです。


けれどその後
与一の事を不憫に思った地元の人々によって
『関原与一宮』をいう社を設け
1218年(建保6年)に
祀られたといわれています

※ちなみに義経に殺されたのは1174年と伝わっています。


蹴上の名前の由来の信憑性はともかくとして

ご興味のある人は義経大日如来を

桜が綺麗な時期にでも1度

訪れてみてはいかがでしょうか


そんな義経大日如来のある場所はコチラ↓

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