今回ご紹介するのは
京都府宇治市(うじし)の
平等院(びょうどういん)で行われた
![関白忌(かんぱくき)](2015/03/02/01/2015-03-02-3.jpg)
関白忌(かんぱくき)です!
ちなみに関白というのは
誰の事なのかと言いますと
藤原頼通(ふじわらのよりみち)の事なんですね
※関白とは、天皇の代わりに政治を取り仕切る役職の事です。
頼通のお父さんは彼とともに
藤原氏全盛期を築いた
藤原道長(ふじわらのみちなが)です!
父の道長は
御堂関白(みどうかんぱく)というあだ名がありますけれど
実は関白には任官していないんですよ~
一方、息子の頼通は
関白どころか摂政にも
太政大臣にも任官しています!
そんな関白・藤原頼通を偲ぶという事で
毎年、頼通の命日である
3月2日(旧暦2月2日)に
平等院の鳳凰堂(阿弥陀堂)で
法要が営まれるんですね
![鳳凰堂(阿弥陀堂)](2015/03/02/01/2015-03-02-1.jpg)
ちなみに鳳凰堂は
2014年3月に56年振りの改修工事が
終わっていたんですけれど
今回は改修後、初めての関白忌となりました!
ここで平等院についても少し触れますと・・・
平等院は
頼通が父・道長の
宇治殿を1052年にお寺にしたもので
極楽浄土をこの世に表現したものと
いわれています
そして平等院庭園は
浄土式庭園の代表的なものといわれているんですよ
それにしてもどうして頼通が
1052年に平等院を建てたんでしょうか?
その理由は、平安時代末期の1052年は
末法到来の年(まっぽうとうらいのとし)
と言われ、僧侶はもちろんの事
貴族も末法の到来を
恐れていたという事があげられます
え?僧侶も貴族も恐れる
末法って何!?って思いますよね
末法とは
お釈迦様が入滅してから
だんだん仏法が衰えて、やがて滅び
天変地異が頻発するという思想をいいます
末法の時代に入ると
もはや悟りを開く者はいなくなるといわれ
その年が1052年だったんですね~
ですから頼通は
末法到来の年に平等院を建てて
その翌年に阿弥陀堂を作り
極楽往生を願ったというワケなんです!
ちなみに私達が今生きている
この世界も末法の世界という事になるんですよ。
前置きが長くなりましたけれど
早速レポートしていきましょう。
11時頃に平等院に到着すると
既に今回の法要で鳳凰堂の拝観は
出来ないようになっていました
法要のある日は午前中の拝観が出来ないみたいなので
来年、鳳凰堂を見に行かれる方は
日程に気をつけてください
その後、平等院の塔頭である
最勝院(さいしょういん)から天台宗の僧と
浄土院から浄土宗の僧など
宇治近辺の様々な宗派の僧が
一緒に鳳凰堂へと向かいます
![浄土宗と天台宗のお坊さん](2015/03/02/01/2015-03-02-2.jpg)
天台宗と浄土宗のお坊さんがいる理由としては・・・
平等院は、もともと
天台宗のお寺だったんですけれど
一時衰退してしまったようで
その後、浄土宗の栄久(えいく)によって
再興されているんですね
そういう経緯からか平等院は
天台宗の最勝院と浄土宗の浄土院が
共同で維持されているんだそうです
ですから法要も天台宗と浄土宗の
2つの宗派が中心となって一緒に行っているんでしょうね♪
さて、鳳凰堂に入ると法要が始まります。
ちなみに平等院の法要の中で
鳳凰堂で行われるものは
この関白忌以外ないんですよ
![法要](2015/03/02/01/2015-03-02-3.jpg)
法要は天台宗の法要と浄土宗の法要が
合わさったようなもので
最後は、南無阿弥陀仏を唱えて
約30分程の法要が終わりました
様々な宗派のお坊さんが
10円玉で有名な鳳凰堂で法要を行うという
かなりレアな日ですから
平等院に行こうと考えている人は
この日に定めて予定を立ててみるのも
いいかもしれませんね