今回ご紹介するのは
京都府宇治市(うじし)の
平等院(びょうどういん)で行われた
関白忌(かんぱくき)です!
ちなみに関白というのは
誰の事なのかと言いますと
藤原頼通(ふじわらのよりみち)の事なんですね
※関白とは、天皇の代わりに政治を取り仕切る役職の事です。
頼通のお父さんは彼とともに
藤原氏全盛期を築いた
藤原道長(ふじわらのみちなが)です!
父の道長は
御堂関白(みどうかんぱく)というあだ名がありますけれど
実は関白には任官していないんですよ~
一方、息子の頼通は
関白どころか摂政にも
太政大臣にも任官しています!
そんな関白・藤原頼通を偲ぶという事で
毎年、頼通の命日である
3月2日(旧暦2月2日)に
平等院の鳳凰堂(阿弥陀堂)で
法要が営まれるんですね
ちなみに鳳凰堂は
2014年3月に56年振りの改修工事が
終わっていたんですけれど
今回は改修後、初めての関白忌となりました!
ここで平等院についても少し触れますと・・・
平等院は
頼通が父・道長の
宇治殿を1052年にお寺にしたもので
極楽浄土をこの世に表現したものと
いわれています
そして平等院庭園は
浄土式庭園の代表的なものといわれているんですよ
それにしてもどうして頼通が
1052年に平等院を建てたんでしょうか?
その理由は、平安時代末期の1052年は
末法到来の年(まっぽうとうらいのとし)
と言われ、僧侶はもちろんの事
貴族も末法の到来を
恐れていたという事があげられます
え?僧侶も貴族も恐れる
末法って何!?って思いますよね
末法とは
お釈迦様が入滅してから
だんだん仏法が衰えて、やがて滅び
天変地異が頻発するという思想をいいます
末法の時代に入ると
もはや悟りを開く者はいなくなるといわれ
その年が1052年だったんですね~
ですから頼通は
末法到来の年に平等院を建てて
その翌年に阿弥陀堂を作り
極楽往生を願ったというワケなんです!
ちなみに私達が今生きている
この世界も末法の世界という事になるんですよ。
前置きが長くなりましたけれど
早速レポートしていきましょう。
11時頃に平等院に到着すると
既に今回の法要で鳳凰堂の拝観は
出来ないようになっていました
法要のある日は午前中の拝観が出来ないみたいなので
来年、鳳凰堂を見に行かれる方は
日程に気をつけてください
その後、平等院の塔頭である
最勝院(さいしょういん)から天台宗の僧と
浄土院から浄土宗の僧など
宇治近辺の様々な宗派の僧が
一緒に鳳凰堂へと向かいます
天台宗と浄土宗のお坊さんがいる理由としては・・・
平等院は、もともと
天台宗のお寺だったんですけれど
一時衰退してしまったようで
その後、浄土宗の栄久(えいく)によって
再興されているんですね
そういう経緯からか平等院は
天台宗の最勝院と浄土宗の浄土院が
共同で維持されているんだそうです
ですから法要も天台宗と浄土宗の
2つの宗派が中心となって一緒に行っているんでしょうね♪
さて、鳳凰堂に入ると法要が始まります。
ちなみに平等院の法要の中で
鳳凰堂で行われるものは
この関白忌以外ないんですよ
法要は天台宗の法要と浄土宗の法要が
合わさったようなもので
最後は、南無阿弥陀仏を唱えて
約30分程の法要が終わりました
様々な宗派のお坊さんが
10円玉で有名な鳳凰堂で法要を行うという
かなりレアな日ですから
平等院に行こうと考えている人は
この日に定めて予定を立ててみるのも
いいかもしれませんね