今回ご紹介するのは
2月21日に京都府木津川市の
涌出宮(わきでのみや)で行われました
居籠祭(いごもりまつり)・大松明の儀(おおたいまつのぎ)です!
国の重要無形民俗文化財に
指定されている居籠祭は
『齋居祭』とも書かれ
かつて3日間にわたって行われていた
お祭の事なんですよ
※現在は2日間となっています。
居籠祭の起源と考えられているものは
いくつかあるんですけれど
その内の1つが
崇神天皇(すじんてんのう・第10代天皇)の
時代にこの地を治めていたとされる
武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)の
謀反に由来するものなんだそうです
武埴安彦は
大和の王権に対して謀反を起こすんですけれど
敗れてしまい討ち取られてしまうんですね~
その後、村に悪い病気が流行った為
村人達は、これを
『武埴安彦の悪霊による仕業』
と考え、洞窟に籠って
祈祷をしたといわれています
すると、病気の流行がおさまったんですね
この籠って祈祷した事が
居籠祭という独特なネーミングの
由来にもなっているというワケなんですよ
ちなみに今回ご紹介する
大松明の儀では境内にあらかじめ用意した
樫(かし)の大きな松明を
燃やすというものなんですけれど
これは武埴安彦の首をはねた際の
胴体の部分を型取ったものとも
いわれているんです
え?じゃあ首はどうなったの?
って思いますよね~
実は首の方は木津川(涌出宮の西)を挟んで
対岸にある祝園(ほうその)という地区まで
飛んでいったんだそうですよ
ここでもしかして・・・
と思った人もいるかも知れませんけれど
実は、その祝園にある祝園神社でも
居籠祭が行われていて
お祭では武埴安彦の首を型取った竹輪が
使われているといわれているんです
つまり、この説から考えられるのは
居籠祭は涌出宮と祝園神社の両神社で
武埴安彦の霊を鎮める為に行われた
慰霊の祭でもあったという事ではないでしょうか
川を挟んで2つの神社が
居籠祭を行っているのは
偶然なんかじゃないですよね
そんな居籠祭なんですけれど
現在では室町時代の農耕儀礼を伝える
豊作祈願の祭や
厄除招福成就の祭として
信仰を集めているんだそうです
少し前置きが長くなりましたけれど
早速、大松明の儀をレポートしていきましょう♪
午後20時頃に拝殿で
門の儀(かどのぎ)がお開きになると
拝殿横に設置されていた大松明に火がつけられます!
その後、しばらくすると
拝殿から宮司さんが大松明の前に移動し
燃え盛る大松明の前で
五穀豊穣を願って祝詞を上げるんですね
その後、籾(もみ)や
玄米、白米に加えて
金紙、銀紙を火の中に投げ入れます
これは食べ物を燃やす事によって
真剣な願いだという事を
表しているんだそうですよ
その後、しばらくすると
設置されていた大松明を
座の方々の掛け声と共に崩すんですね♪
大松明を崩す瞬間は、とても圧巻でしたよ~
ここまでの一連の流れは動画でもご確認下さい♪
大松明の儀の様子は動画でご覧ください。
その後、崩した火をまとめて
30分程燃やした後は
残り火を用意しておいた小松明に移し
四脚門の前まで移動させます
そして四脚門の前でも同じように
宮司さんが祝詞を上げ
玄米等を投げ入れていましたよ
これでこの日の居籠祭・大松明の儀は
お開きとなりますけれど
居籠祭自体は2日目へと続いていきます。
居籠祭の大まかな日程は下記の通りです。
1日目
・『野塚神事(のづかしんじ)』
・『門の儀(かどのぎ)』
・『大松明の儀』
2日目
・『饗応の儀(あえのぎ)』
・『御供炊き神事(ごくたきしんじ)』
そんな居籠祭の大松明の儀が行われた
涌出宮の場所はコチラ↓