今回ご紹介するのは
八坂神社の境内摂社である
疫神社(えきじんじゃ)で行われた
![疫神社祭](2015/01/19/01/2015-01-19-5.jpg)
疫神社祭(えきじんじゃさい)です!
その年の健康や安泰、そして厄除けを
祈願するものなんですよ
![祭を伝える案内板](2015/01/19/01/2015-01-19-3.jpg)
ちなみに例祭とは
その神社で行われるお祭の中で
最も重要とされているものなんですね
![疫神社](2015/01/19/01/2015-01-19-2.jpg)
疫神社は
ご祭神に蘇民将来(そみんしょうらい)を
お祀りしている神社で
その事から蘇民将来社とも呼ばれています
蘇民将来の事はよく知らなくても
どこかで聞いた事があるような・・・
という人も多いのではないでしょうか
そんな蘇民将来の話が
『備後国風土記(びんごのくにふどき)』に書かれています。
その話は次のようなものです
北海の武勇にすぐれた武塔(むとう)の神が
南海の女神に求婚をしようと
遠くからはるばる来たんですけれど
とある所で日が暮れてしまったそうです
そこには蘇民将来という
とても貧しい兄と
巨旦将来(こたんしょうらい)という
裕福な弟が住んでいました
武塔の神は宿を借りようと
弟の巨旦将来に頼みますけれど
断られてしまいます
けれど兄である蘇民将来は
貧しいながらも粟飯をもって
持てなしたんですね~
その後、武塔の神は
8柱の子を率いて再び戻って来ると
あの時のお礼をしようといって
蘇民将来に
「茅(ちがや)を輪にして
娘や子の腰につけなさい」
と言ったそうです
その後、武塔の神は
巨旦将来の家族をことごとく滅ぼし
「私は素戔嗚尊(スサノオノミコト)なり!
今後、疫病があった際
汝、蘇民将来の子孫といって
茅の輪を腰にしていれば免れるだろう!」
と言ったそうです。
ここでもう気付いた人もいると思うんですけれど
祗園祭の各山鉾町の粽(ちまき)に書かれているのが
『蘇民将来子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)』という
護符なんですね
![八坂神社の粽](2014/07/16/01/2014-07-16-35.jpg)
![](../emoji/camera.gif)
※詳しくは、祇園祭の各山鉾の粽の記事をご覧ください。
粽を購入した記憶のある人は
ぜひ護符を見返してみてください♪
玄関先に粽を飾る事で
「我が家は蘇民将来の子孫なんで
どうか病気や災いから守って下さいね。」
という意味が込められているんですよ。
少し前置きが長くなりましたけれど
疫病祭をレポートしていきたいと思います
![八坂神社](2015/01/19/01/2015-01-19-1.jpg)
10時頃八坂神社の境内に着くと
祭の準備が整えられ
氏子の方や神職の方が集まっていました。
その後、雅楽がなり
神職の方が疫神社に進みます
![祭典の始まり](2015/01/19/01/2015-01-19-4.jpg)
本殿で行われる神事では
お祓いや祝詞奏上(のりとそうじょう)
![お祓い](2015/01/19/01/2015-01-19-5.jpg)
そして玉串奉奠(たまぐしほうてん)等が行われ
お開きとなります。
その後、氏子の方々には
お神酒が振舞われていましたよ
![お神酒](2015/01/19/01/2015-01-19-6.jpg)
ちなみに7月31日に行われている
疫神社夏越祭では
手のひらサイズの茅の輪を作る事が出来るので
よかったら参加してみてはいかがでしょうか♪
※詳しくは、祇園祭 2011 疫神社夏越祭(八坂神社)の記事をご覧ください。
そんな疫神社祭が行われた
疫神社の場所はコチラ↓
大きな地図で見る