今回ご紹介するのは

京都市下京区にある

涙の地蔵

涙の地蔵(なみだのじぞう)です!


ちなみにお地蔵さんの近くには

以前ご紹介した


フランソア喫茶室

フランソア喫茶室があります


さて、こちらの涙の地蔵は

2体安置されていて


1つは山崎屋の四船問屋にあったもの

そのうちの1つは山崎屋の

『四船問屋』にあったものなんだそうですよ。

※船問屋とは旅客や貨物を運搬する商船を対象としていた問屋の事です。


そしてもう1つは

池大雅(いけのたいが)が造ったもので

もともと町の会議所にあったものなんだそうです。


池大雅は

江戸時代に活躍した文人画家で

与謝蕪村(よさぶそん)とともに

日本の南画(なんが)の大成者といわれています

※池大雅について詳しくは、浄光寺の記事をご覧ください。


そんなお地蔵さんが

どうして涙の地蔵と呼ばれているんでしょうか??

不思議ですよね~。


実は、このお地蔵さんのある所には

すぐ横を高瀬川(たかせがわ)が

流れているんです


高瀬川

高瀬川というのは

京の豪商であった

角倉了以(すみのくらりょうい)が

方広寺(ほうこうじ)大仏再建の資材を運ぶ為に

開削したもので

その後は、京都の中心部に

物資を運び入れる運送路として

大いに活用された運河の事なんですよ!!


つまり京都の発展に

貢献した運河なんです


長さは約10kmあり

二条で鴨川の水を引き入れ

伏見を通り、宇治川で合流します。


木屋町界隈の史跡の一之舟

写真は木屋町通二条下ル西側の高瀬川一之舟入に再現されている高瀬舟です。


主に上り(京都)は

お米やお酒、醤油を運び

下りには大八車や長持といった

ものを運んだといわれています


ちなみに高瀬川という名前は

この川を運行した舟の名前である

高瀬舟に由来しているんだそうです。


さて、そんな高瀬川なんですけれど

運んだのは何も物資だけではなかったんですねー!


実は、犯罪人を島流しにする際に

運んだりしていたと伝わっています!


説明板

その際、犯罪人は

この高瀬川に安置されているお地蔵さんに

無事に戻ってこれるようにと

涙を流してお願いをしたという事から

『涙の地蔵』と呼ばれているというわけなんですよ。


涙の地蔵というと

お地蔵さんが涙を流したのかな~

と思っちゃいましたけれど

お願いをする時に

護送される罪人や見送りに来た親族が

泣いたという事なんですね


ちなみに森鴎外(もりおうがい)の

短編小説『高瀬舟(たかせぶね)』にも

高瀬川を舞台にした

罪人を舟で運ぶ物語があります。

※森鴎外は、文人で有名ですけれど、軍医で日清戦争・日露戦争に従軍していた人としても知られています。また、外国の女性が彼を日本まで追っかけてきたというエピソードがある位モテたようですよ。


物語は、弟を殺した喜助と

護送する役目の京都町奉行同心である

羽田庄兵衞が

夜の高瀬川を舟で行く道中が

描かれています。

※高瀬舟は、青空文庫で読めるので気になった方は検索してみて下さいね。


冒頭でもご紹介しましたけれど

涙の地蔵のすぐ近くには

国の有形文化財に指定されている

フランソア喫茶室があるので

立ち寄られた際には休憩がてら寄られてみてはいかがでしょうか


そんな涙の地蔵の場所はコチラ↓

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