今回ご紹介するのは
京都市東山区にある
称名寺(しょうみょうじ・稱名寺)です!
『京都浄土宗寺院 特別大公開』で
特別公開されていた際に
拝観してきたのでご紹介したいと思います
称名寺は浄土宗のお寺で
山号を錦光山
院号を法音院といいます。
創建は慶長(けいちょう)年間(1596~1675年)と伝わっていて
天台宗の三門跡寺院の1つである
妙法院(みょうほういん)の第19世
常胤門跡(じょういんもんぜき)が念仏道場の願をかけて
浄土宗の誠誉白龍を開祖として
建立したんだそうですよ
天台宗と浄土宗がナゼ・・・と
不思議に思っている方もいるかと思いますけれど
こういった2つ以上の宗派のお寺が
昔は普通にあったといわれています。
そうしたお寺は○○宗と△△宗の
兼修寺院(けんしゅうじいん)
または
兼学寺院(けんがくじいん)
といったりするんですね
もちろん称名寺は
天台宗と浄土宗の兼学寺院だったんですよ♪
ちなみに称名寺は
妙法院を修復した際の
残った材木で建てられたんだそうです
こういった経緯から
称名寺には歴代の妙法院門跡の位牌を
安置しているといわれています。
けれどその後
1942年(昭和17年)の法律改正によって
2つ以上の宗派に属する事が禁止された為
浄土宗のみのお寺となったんだそうですよ
それでは早速、中に入っていきましょう♪
こちらの山門は
1695年(元禄8年)の8月に建立されたものだそうで その後、1829年に修復されています。
山門をくぐると
左側には地蔵堂がありました。
当然、中に安置されているのは
地蔵菩薩ですよね。
なんでも当時
檀家であった和気氏(わけし)の子供の多くが
疫病で無くなったそうで
追善供養の為に建てられたみたいです。
こちらは梵鐘です
そしてこちらが本堂になります!
本堂の中にはご本尊であり
運慶の作と伝わっている
阿弥陀三尊が安置されていましたよ
本堂にはこの他にも
御背板(おせた)というものがあるんですね~。
撮影が禁止だったので
写真ではご紹介が出来ないのですけれど
一体何なのか想像出来るでしょうか
ヒントは・・・
漢字から想像してみてくださいね
答えは
背中に背負う箱の事なんです!
ただの箱じゃない事は
だいたい察しがついていると思うんですけれど
なんと中には
小さな三十三所観音と阿陀三尊が
安置されているんですよ!!
まさか!本当に!?
そもそも、そんなにたくさん背負えるの?
と思いますよね。
実は大きさもリュックサックとか
そういったレベルの大きさではなくて
だいたい扉を開いた状態で
縦横それぞれ1メートルほど
あったと思います
そんな大きな箱を背負って
どうするのかと言いますと・・・
その昔、江戸時代初期から昭和30年代頃まで
御背板を背負って
西国巡礼三十三所を33回巡礼するといった
修行があったんだそうですよ!!
しかも1年に春と秋の2回
徒歩で巡礼し続けるだけでなく
なんと!17年続けて
やっと満行となるんだそうです
すごいですね~。
かつて鞍馬寺にあったとされる石で弁慶と牛若丸が、この石の上でお酒を酌み交わしたそうですよ。
でもそれだけでは終わりません!
修行者は西国巡礼三十三所を回っている際
信者がいれば
そこで御背板を開いて
法要をしたといわれているんですね~
まさにこの箱の中は
お寺の本堂の縮小版といったところだと思います♪
ちなみに、このように御背板を背負って
西国巡礼三十三所を回る修行者の事を
サンドサンとかオセタハン
セタブッサンと呼んだそうですよ。
また、こちらの称名寺は
このような御背板を管理する
大仏組(近畿に6組あった本山の1つ)の本山(セタ元)として
かつては5つの御背板を管理していたようです。
現在では、御背板が2つ残されており
京都市の有形民俗文化財に指定されているんですよ
※御背板の写真は、京都市情報館の第20回京都市文化財の所に掲載されているので気になる人は覗いてみて下さいね。
こちらは墓地にある
釈迦宝塔堂です。
中には釈迦如来が安置されています。
お堂では毎年2月15日と4月8日に
大施餓鬼会が行われているんですよ。
そんな称名寺の場所はコチラ↓
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