今回ご紹介するのは
京都市伏見区の深草にある
![摂取院](2014/11/11/01/2014-11-11-1.jpg)
摂取院(せっしゅいん)です!
※ちなみに摂取院という名前のお寺は左京区にもあります。
近くにはランプ小屋がある事で知られる
JR稲荷駅があるエリアなんですよ
摂取院は浄土宗鎮西派のお寺で
1608年(慶長13年)に創建されました。
山号は光明山というそうです。
![浄土宗 摂取院](2014/11/28/01/2014-11-28-2.jpg)
もともとは現在の場所よりも
少し北にある御前町(おんまえちょう)にあったそうなんですけれど
1878年(明治11年)
東海道線建設のために
現在地に移ったと言われています
さて、そんな摂取院には
普段は非公開なんですけれど
地元の人にとても有名な
お地蔵さんが安置されているんですね。
それがこちらのお地蔵さんです
![腹帯地蔵尊](2014/11/28/01/2014-11-28-3.jpg)
解体修理の際、典型的な平安時代末期の寄木造と判明し後頭部裏には文明17年6月18日と書かれた墨書が見つかったそうです!!
腹帯地蔵尊(ふくたいじぞうそん)と
呼ばれていて安産のご利益があるんですよ♪
![地蔵尊](2014/11/28/01/2014-11-28-5.jpg)
地蔵尊
お寺の縁起を見てみると・・・
1608年の3月
伏見稲荷山の麓に住んでいた西村一門方に
とあるお坊さんが
こんな話をしたと伝わっています
ある時、お坊さんの夢枕にお地蔵さんが現れ
「私は比叡山にあるキララの谷に長い間埋もれている
子安腹帯(こやすふくたい)の地蔵です。
このまま草木の生い茂った場所にいては
世の中の女性の難産を救うことは出来ません。」
というお告げがあったそうなんですね。
これを聞いたお坊さんは、西村一門方に
「あなたがその場所に行って
お地蔵さんを連れ帰り
世の中のご婦人が難産から免れるようして下さい。」
と言い残して去っていったと言われています。
その後、お告げどおりに
西村一門方がキララの谷に行ってみると
お坊さんの言ったとおり
そこには大きなお地蔵さんがありました
そして西村一門方は
お地蔵さんを背中に背負い
大和街道の大紋(だいもん)というところに
小庵を建てて安置したんだそうですよ
![腹帯地蔵尊と書かれた石碑](2014/11/28/01/2014-11-28-4.jpg)
それからというもの腹帯地蔵には
安産祈願に訪れる人がたくさん訪れたそうで
江戸時代には、伊勢津藩の城主である
藤堂和泉守(とうどういずみのかみ)の奥方がお地蔵さんに祈願をして
安産になったという話や
徳川将軍家に嫁がれた伏見院の姫君が
お地蔵さんに祈願をしたのち
御懐妊となった話が伝わっているんですね~
![ぬりこべ地蔵](2014/11/11/01/2014-11-11-4.jpg)
ちなみに以前ご紹介した
もともと摂取院の境外墓地に
安置されていたと言われています
その際、土で塗り込められたお堂の中に
安置されていた事から
『塗り込め地蔵(ぬりこめじぞう)』と呼ばれ
後に次第に訛っていって
『ぬりこべ地蔵』と呼ばれるようになったんだそうですよ。
そんな腹帯地蔵が安置される
摂取院の場所はコチラ↓
大きな地図で見る