今回ご紹介するのは
京都市下京区にある
芹根水(せりねすい、せりねのみず)の碑です!
芹根水の碑は現在、旧安寧小学校である
市立梅小路(うめこうじ)小学校の西側にあるんですけれど
もともとは堀川木津屋橋通り(ほりかわきづやばしどおり)を
下がった所にあったようですよ
※少し余談なんですけれど梅小路小学校近くには梅小路蒸気機関車館があり全部で19両の車両が保存され内7両はなんと現在でも動くように整備されています!!
ちなみに木津屋橋は
昔は生酢屋橋といって
この辺りに生酢(きず)を扱うお店があった事から
そう呼ばれていたんですね。
生酢屋橋は別名を月見橋とも言って
観月の場所としても有名だったようです
さて、そんな場所に芹根水は湧き出ていたんですけれど
芹根水は平安時代から
霊水と知られていたそうです♪
そんな芹根水は源融(みなもとのとおる)が造った
隠棲地『六条河原院(ろくじょうかわらいん)』にも
引き入れられていた事がわかっているんですね~
六条河原院には
塩釜の浦(しおがまのうら)を
模した壮大な庭園があったと言われています
塩釜の浦というのは
陸奥(現在の宮城県)にあって
海水を焼いて塩を作る所で有名だった場所なんですよ。
※河原院について詳しくは、源融 河原院跡の記事をご覧ください。
そして室町時代になると
芹根水は多くの茶人に愛されたそうで
茶道を発展させた能阿弥(のうあみ)は
茶の都七名水の1つに選んだと伝わっています。
その後、江戸時代に入ると
湧き出ていた芹根水に
堀川の水が入らないようにと
書家である松下烏石(まつしたうせき・鳥石葛辰(うせきかつしん))が寄進した
井筒で囲まれていたそうです
実は堀川と芹根水は水位が同じだったんですね。
都名所図会には
松下烏石によって刻まれた石碑の脇から
清水が溢れている様子が描かれているんですよ
※都名所図会とは、江戸時代後期に発行された京都名所案内ガイド本です。
こちらは松下烏石の文房四神之碑です。
松下烏石は優れた書家でありながら
洛中の名水の保存と顕彰に務めた人物でもあるんですね
ちなみに芹根水の碑も松下烏石の書によるものなんです。
その後、大正時代に入ると
芹根水は堀川の水が流れ込んでしまって
意味をなさなくなってしまったんだそうです
そういった事から現在は
石碑だけがその面影を伝えているというわけなんですね~
ちなみに堀川はどうなったのかと言いますと
ちょうどこの下のあたりを
暗渠(あんきょ)となった堀川が流れているそうです。
※暗渠とは、地中に埋設された河川の事をいいます。
そんな芹根水の碑の場所はコチラ↓