今回ご紹介するのは
京都3名水(きょうとさんめいすい)です!
京都には名水と呼ばれる井戸が
あちこちにあるんですけれど
その中でも京都3名水に
数えられるところを
ご紹介したいと思います
その京都3名水とは・・・
縣井(あがたのい)
醒ヶ井(さめがい)
染井(そめい)
です!
けれど実は
3つのうち2つがすでに枯れてしまっていて
飲む事が出来ないんですね
それでもかつての場所には石碑など
名残が残っていますので
お近くに来られた際には
是非訪れてみてはいかがでしょうか!
では早速ご紹介していきましょう♪
※順序は50音順で紹介しています。
■縣井
場所:京都府京都市上京区京都御苑 中立売御門北側
こちらの縣井は旧一条邸の屋敷跡にあり
明治天皇(めいじてんのう・第122代)の皇后であられた
昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)の
産湯にも使われた事があるみたいです
また、平安時代に作られた
和歌を中心とした歌物語である
『大和物語(やまとものがたり)』には
病気を治す水として紹介されていたりするんですね。
かつて縣井の側には
縣宮(あがたのみや)と呼ばれる
小さな祠があったようで
地方官任命の儀式である
県召(あがためし)の除目(じもく)の際には
任官を望む人が
縣井の水で身を清め、縣宮で祈願してから
宮中にのぼったと伝わっています。
井戸の周りは山吹がたくさん生えていたみたいで
後鳥羽上皇(ごとばじょうこう・後鳥羽天皇 第82代)や橘公平女が
その様子を和歌にしているんですよ
※現在、縣井は枯れているため飲む事は出来ません。
■醒ヶ井
写真は、左女牛井之跡です。かつて左女牛井(醒ヶ井)あった場所です。
場所:京都市下京区堀川通五条下る西側
醒ヶ井はもともと
左女牛井(さめがい)と書き
源頼義(みなもとのよりよし)が築いた
六条堀川邸(現在の卜味金仏町、佐女牛井町あたり)の
中にあったものなんだそうです。
その後、室町時代に入ると
村田珠光(むらたじゅこう)が
側に住んで茶の湯に使ったと言われています
※村田珠光は侘び茶というスタイルを作った人です。
武野紹鴎(たけのじょうおう)や
千利休(せんのりきゅう)
織田有楽斎(おだうらくさい・信長の弟であり茶人)ら
名だたる茶人が愛用した事から
天下一の名水と呼ばれるようになりました。
※利休の師である武野紹鴎について詳しくは、菊水の井跡 大黒庵武野紹鴎邸跡の記事をご覧ください。
けれどその後
戦国の戦乱によって荒廃してしまいます
1616年(元和2年)、織田有楽斎によって再興しましたが
1788年(天明8年)の天明の大火(てんめいのたいか)によって
再び荒廃してしまいます。
※織田有楽斎については、正伝永源院の記事をご覧ください。
1790年(寛政2年)に薮内家(やぶのうちけ)の6代・竹陰によって
再び再興されたんですけれど
1945年(昭和20年)には戦争の戦火を避けるために
建物疎開が行われ撤去されてしまうんですね。
現在は、佐女牛井町や泉水町(せんすいちょう)
醒ヶ井通りといった町名などに
その名が残されています
※現在、醒ヶ井は枯れているため飲む事は出来ません。
■染井
場所:京都市上京区寺町通広小路上る染殿町680
こちらの染井は
萩の宮で知られる梨木神社(なしのきじんじゃ)の境内にあり
縣井、醒ヶ井が枯れてしまっているのに対し
京都3名水の中で唯一枯れずに水が沸いているんですよ
かつてこの場所は
文徳天皇(もんとくてんのう・第55代)の皇后
染殿こと藤原明子(ふじわらのあきらけいこ)の
御所がありました。
染井という名前は
染殿の御所で染物などに使われていた事から
その名になったと言われています。
ちなみに染井の水源は
鴨川の分流であると考えられているんだそうですよ
という事で今回は京都3名水をご紹介しました。
京都3名水の詳しい場所はコチラ↓
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