今回ご紹介するのは
京都市下京区にある
![聖光寺](2014/10/14/01/2014-10-14-1.jpg)
聖光寺(しょうこうじ)です!
こちらの聖光寺は
通常非公開のお寺なんですけれど
今回『京都浄土宗寺院 特別大公開』で
特別公開されていましたよ~
ちなみに聖光寺のある場所は
京都の電気街でもある
寺町通り沿いにあります。
そして聖光寺の境内墓地には
赤穂浪士とゆかりのある人物の
お墓があるんですね~
そちらはまた後ほどご紹介するとして
まずはお寺の簡単なご紹介をしていきましょう♪
![こま札](2014/10/14/01/2014-10-14-2.jpg)
聖光寺は浄土宗のお寺で
山号を錦綾山(きんりょうざん)
院号を曼荼羅院(まんだらいん)と
いいます
筑前国香月(現在の福岡県北九州市八幡西区)出身であった
聖光房(しょうこうぼう)弁長(べんちょう・僧)が 京都を訪れた際
この地に小庵を結んだそうなんですね。
なぜ弁長が京都を訪れたのかと言いますと
筑前にある明星寺の五重塔の本尊を
慶派の仏師である康慶(こうけい)に
依頼しに来たと言われています。
※慶派とは名前に『慶』の付く仏師を多く輩出した仏師一派の総称です。
そんな弁長はもともと
天台宗のお坊さんだったそうですけれど
京都で法然(ほうねん)と出会って
学識や人柄に敬服し
浄土宗に帰依したんだそうですよ
その後、京都で約8年もの間
法然の教えを受けて
浄土宗の奥義を相伝すると
なんと!
浄土宗の第二祖となるんですね
そして、いよいよ弁長が筑前へ戻るという時に
康慶は大変悲しんだそうで
弁長に自筆の真影(しんえい・肖像画)を乞うたと言われています。
つまり現代で言う所の
写真を欲しがったという事ですよね
その真影を弁長が住んでいた小庵に安置して
聖光庵としたのが聖光寺の始まりなんだそうですよ♪
弁長はその後
主に九州の地で布教活動をした事から
![鎮西聖光上人遺蹤と刻まれた石碑](2014/10/14/01/2014-10-14-4.jpg)
山門前に建てられていた石碑。『鎮西聖光上人遺蹤(ちんぜいしょうこうしょうにんいしょう)』と刻まれています。
鎮西上人(ちんぜいしょうにん)とも呼ばれるそうです
※鎮西とは、7世紀後半に筑前に設置された地方行政の機関の事。
少し前置きが長くなりましたけれど
それでは早速中に入っていきましょう!
![参道](2014/10/14/01/2014-10-14-3.jpg)
山門をくぐって中に入ると
左手には地蔵堂があります。
![地蔵堂](2014/10/14/01/2014-10-14-5.jpg)
こちらの地蔵堂には
開運地蔵菩薩が安置されていました
そしてこちらが本堂です。
![本堂](2014/10/14/01/2014-10-14-6.jpg)
本堂です。
本堂の中にはご本尊である
阿弥陀如来が安置されているんですよ。
本堂には他にも
1823年の火災の際に燃えずに焼け残った
弁長自筆の真影があり
焼け残ったという事から
『焼残りの御影』と呼ばれています。
![庫裏の前の庭園](2014/10/14/01/2014-10-14-8.jpg)
こちらは庫裏の前の庭園です。
また、恵心僧都(えしんそうず)源信(げんしん)の
筆と伝わる『山越の弥陀三尊』や
天下の三曼荼羅(さんまんだら)の1つである
『清海曼荼羅(せいかいまんだら)』といった
寺宝も見ることが出来ましたよ
※残りの2つの曼荼羅は、当麻(たいま)曼荼羅、智光(ちこう)曼荼羅です。
![お抹茶を頂きました。](2014/10/14/01/2014-10-14-7.jpg)
訪れた際には、お抹茶を頂きました。
さて冒頭でも触れました
赤穂浪士とゆかりのある人物の
お墓なんですけれど
それがこちらになります
ちょうど庫裏の裏側が
お寺の墓地になっているんですね。
![庫裏](2014/10/14/01/2014-10-14-9.jpg)
庫裏です。
その人物とは・・・
赤穂浪士・大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお)の お母さんのお墓なんです!
![大石良雄生母之墓](2014/10/14/01/2014-10-14-10.jpg)
『大石良雄生母之墓』と刻まれています。
ちなみに忠臣蔵(ちゅうしんぐら)は
江戸時代に起きた
『赤穂浪士討ち入り事件』を元にした演目ですよね。
1701年(元禄15年)、12月14日に
大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお)以下
四十七士が、吉良邸へ討ち入りをしたのはあまりにも有名だと思います
※赤穂浪士討ち入り事件に関して、詳しくは山科義士まつり 2010(大石神社)の記事をご覧ください。
そんな内蔵助の実母のお墓とは別に
もう1基、赤穂浪士とゆかりのある人物の
お墓がありましたよ。
それがこちらの
天野屋利兵衛(あまのやりへい:安田善右衛門好時(やすだぜんえもんよしとき)または綿屋善右衛門好時(わたやぜんえもんよしとき))のお墓です。
![天野屋利兵衛之墓](2014/10/14/01/2014-10-14-11.jpg)
彼は赤穂浪士を
陰でバックアップしたといわれる
影の立役者なんですね
※ちなみに天野屋利兵衛のお墓は地蔵院(椿寺)にもあります。
![『天野屋利兵衛は男でご座る』と刻まれた石碑](2014/10/14/01/2014-10-14-12.jpg)
山門前に建てられていた碑で『天野屋利兵衛は男でご座る』と刻まれています。『仮名手本忠臣蔵』の十段目では、天野屋利兵衛は天河屋義平(あまかわやぎへえ)として登場します。その名台詞「天河屋の義平は男でご座る」にちなんだものと思われます。
その他にも
『アラカン』と言われた映画俳優
嵐寛寿郎(あらしかんじゅうろう)のお墓もあるそうですから
また次回、特別大公開された時は
お参りに訪れてみてはいかがでしょうか
そんな聖光寺の場所はコチラ↓
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