今回ご紹介するのは
京都市下京区にある
七条仏所跡(しちじょうぶっしょあと)です!
七条仏所というのは
この辺りにあった
定朝(じょうちょう)や
慶派(けいは)と呼ばれる仏師(仏像彫刻家)の
工房の事なんですね~。
ちなみに慶派というのは
覚助(かくじょ)を祖とする
平安時代末期から江戸時代にかけて活躍した
仏師一派の事なんです
※覚助は平安時代後期に活躍した仏師である定朝の弟子または子だったと言われています。
そして彼らの多くは
名前に『慶』という字が付いた事から
慶派と呼ばれるようになったんだそうですよ。
ちなみに定朝の作品で有名なのが
皆さんご存知
阿弥陀如来坐像が安置されている平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)です。
平等院(びょうどういん)の阿弥陀如来坐像です!
もちろん国宝ですよ
平等院の阿弥陀如来坐像は
高さ約2.7メートルで
それまでの一木造(いちぼくづくり)では無く
寄木造(よせぎづくり)という技法で
複数の木材を繋ぎ合わせて造られています。
※定朝は寄木造の完成者と言われています。一木造とは、主要部分(頭や体)を1つの木材から彫る技法の事なんですね。
その後、定朝は
浅い彫りや平明(へいめい・洗練)で優雅なのが特徴の
『定朝様式(じょうちょうようしき)』とも呼ばれる 和様(わよう)の仏像彫刻様式を完成させます!
さらに仏師の共同組織として
仏所の制度を整えるなどして
仏師の社会的地位向上に努めました。
こういった事から定朝は
『仏師の祖』と呼ばれ
仰がれているんだそうですよ
ちなみに定朝のお墓は
上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)と
上品蓮台寺にある定朝のお墓です。
廬山寺(ろざんじ)の2ヶ所にあります。
※廬山寺について詳しくは、廬山寺 その1の記事をご覧ください。
その後、七条仏所からは
鎌倉時代、運慶(うんけい)や
湛慶(たんけい)、快慶(かいけい)といった
大変優れた仏師を輩出します。
彼らは奈良県の東大寺にある
仁王像(木造金剛力士立像)を彫った事で有名ですよね!
しかしそんな七条仏所も
現在は何も残っておらず
その面影を見る事は出来ません
その理由は・・・
安土桃山時代(あづちももやまじだい)
慶派21代・康正(こうしょう)の時
豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命によって
七条仏所のあった場所は
時宗(じしゅう)の金光寺(こんこうじ)に
寄進する事になります。
その後、仏所は
四条烏丸(しじょうからすま)に移転する事になるのですけれど・・・
幕末の兵火によって仏所の遺構は
完全に焼失してしまったそうなんです
残念ながら現在では
仏所を見る事は出来ませんけれど
慶派の作品は残っているので
気になる方は慶派の仏像巡りをしてみてはいかがでしょうか。
そんな定朝をはじめ、慶派の一派が
約500年もの間、脈々とこの地に住んで
彫刻に励んでいた七条仏所跡はコチラ↓
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