今回ご紹介するのは

真如堂(しんにょどう)境内の

地蔵堂に安置されている

殺生石鎌倉地蔵

殺生石鎌倉地蔵(せっしょうせきかまくらじぞう)です!


以前も真如堂のところで

少しご紹介した事がありますけれど

今回は殺生石鎌倉地蔵を

もう少し詳しく取り上げてみますね


それにしてもこのお地蔵さん

なんだかおどろおどろしい

名前だと思いませんか?


それもそのはず

その昔、近寄る生き物を

散々、殺したと言われているんですね


殺生石 鎌倉地蔵尊と書かれた提灯

そのあたりのお話は後ほど

詳しくするとしまして

まずは真如堂について

簡単にご説明します


真如堂は天台宗のお寺で

正式名称を

真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)と言います。


真如堂の石碑

真如堂の石碑です。

比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の僧

戒算上人(かいさんしょうにん)が

延暦寺の常行堂(じょうぎょうどう)にあった

阿弥陀如来像を藤原詮子(ふじわらのせんし・東三条院の宮)の

離宮に安置したのが始まりなんだそうですよ

真如堂について詳しくは、真如堂の記事をご覧ください。


そんな真如堂にある

地蔵堂に安置されている殺生石鎌倉地蔵とは

一体どんなお地蔵さんなんでしょうか。


お地蔵さんの縁起を見てみると

このお地蔵さん、元はなんと中国にいた

狐だったようですよ


殺生石 鎌倉地蔵縁起

狐といっても普通の狐ではなく・・・

金色の毛に9つの尻尾を持つという

狐の妖怪『妖狐(ようこ)』だったと言われています

※九尾の狐(きゅうびのきつね)や九尾狐(きゅうびこ)とも呼ばれます。


そんな妖狐である狐は美女に化け

中国の皇帝をたぶらかしては

国を傾けさせる程の

害をなしていたんだそうですね!


しかしいつまでも

そんな状態が続くわけもなく

正体が見破られると

日本に逃げてくるんです~


当然、妖狐は日本に来てからも

おとなしくするはずも無く

『玉藻前(たまものまえ)』という美女に化け

鳥羽上皇(とばじょうこう・第74代天皇)を

たぶらかします。


しばらくすると

鳥羽上皇は体調を崩し

床にふせる日が多くなってしまいました。


医師に見てもらっても

原因が全くわからないので

陰陽師である

安倍泰成(あべのやすなり・安倍晴明の子孫)に

占わせたところ

玉藻前による仕業という事がわかったんですね


安倍泰成は玉藻前の正体を見破り

真言を唱え変身を解きます!


変身を解かれた妖狐は

白面金毛九尾の狐の姿で

宮中を飛び出し

東の空に逃げていったそうです。


しかしその後も

下野国(しもつけのくに・現在の栃木県)の

那須野原(なすのがはら、なすのがはら)で

妖狐は悪さをしていたらしく

その噂を聞いた鳥羽上皇は

上総広常(かずさひろつね・上総介)と

三浦義明(みうらよしあき・三浦介)らに

妖狐を退治するよう勅命を出しました

※上総は現在の千葉県、三浦は現在の神奈川県の事で、介は4つの地位に分けられる国司の2番目の地位を表します。


上総介と三浦介は神前で

100日間の行を行い、妖狐退治に出かけます。


上総介は弓で2本の矢を放ち

見事、妖狐のお腹と首を射抜く事に成功すると

すかさず三浦介が刀でとどめをさしたそうです。


妖狐は、その後

巨大な毒石になったんだそうで

近寄る人や動物を殺していたみたいですよ。


すさまじい力だったんですね


そういった事から

この石は『殺生石(せっしょういし)』と

呼ばれて、大変恐れられました。


しかし南北朝時代に

毒石の話を聞いた

玄翁(げんのう)という禅僧が

なんと!石を杖で叩いて割り

妖狐を成仏させたんだそうですよ!


近寄れるだけでも凄いのに

成仏までさせるとは

当時の人もかなりビックリしたでしょうね


ちなみに石を割る金槌(かなづち)の事を

玄翁というのはこの事によるそうです。


その後、3つに割れた石の1つで

地蔵菩薩を造り、鎌倉のお堂を建てて

安置したと言われています。


割れた石から作られた殺生石鎌倉地蔵

時は移って江戸時代になると

このお地蔵さんを信仰していた

甲良豊後守(こうらぶんごのかみ)の

夢枕に地蔵尊が現れ

「私を真如堂に移しなさい!」

と告げたんだそうです。


こういった経緯で

現在、このお地蔵さんは

真如堂にあるというわけなんですね


そんな恐ろしい毒石で出来た

殺生石鎌倉地蔵は現在

無実の罪を晴らしたり

心の病が治るといった

ご利益があると言われているんですよ。


ちなみに殺生石鎌倉地蔵の

お守りは本堂で売られていました。

本堂で売られていたお守り

この妖狐の話は

御伽草子(おとぎぞうし)の

『玉藻の草子』などに描かれています

※御伽草子とは、鎌倉時代から江戸時代にかけて成立した挿絵入りの物語の事です。


これからの時期

紅葉が魅力的な場所なので

訪れた際は地蔵堂に

立ち寄ってみてはいかがでしょうか。


そんな殺生石鎌倉地蔵のある

真如堂の場所はコチラ↓


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