今回ご紹介するのは
真如堂(しんにょどう)境内の
地蔵堂に安置されている
![殺生石鎌倉地蔵](2014/09/24/01/2014-09-24-1.jpg)
殺生石鎌倉地蔵(せっしょうせきかまくらじぞう)です!
以前も真如堂のところで
少しご紹介した事がありますけれど
今回は殺生石鎌倉地蔵を
もう少し詳しく取り上げてみますね
それにしてもこのお地蔵さん
なんだかおどろおどろしい
名前だと思いませんか?
それもそのはず
その昔、近寄る生き物を
散々、殺したと言われているんですね
![殺生石 鎌倉地蔵尊と書かれた提灯](2014/09/24/01/2014-09-24-4.jpg)
そのあたりのお話は後ほど
詳しくするとしまして
まずは真如堂について
簡単にご説明します
真如堂は天台宗のお寺で
正式名称を
真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)と言います。
![真如堂の石碑](2010/12/17/01/2010-12-17-1.jpg)
真如堂の石碑です。
比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の僧
戒算上人(かいさんしょうにん)が
延暦寺の常行堂(じょうぎょうどう)にあった
阿弥陀如来像を藤原詮子(ふじわらのせんし・東三条院の宮)の
離宮に安置したのが始まりなんだそうですよ
そんな真如堂にある
地蔵堂に安置されている殺生石鎌倉地蔵とは
一体どんなお地蔵さんなんでしょうか。
お地蔵さんの縁起を見てみると
このお地蔵さん、元はなんと中国にいた
狐だったようですよ
![殺生石 鎌倉地蔵縁起](2014/09/24/01/2014-09-24-2.jpg)
狐といっても普通の狐ではなく・・・
金色の毛に9つの尻尾を持つという
狐の妖怪『妖狐(ようこ)』だったと言われています
※九尾の狐(きゅうびのきつね)や九尾狐(きゅうびこ)とも呼ばれます。
そんな妖狐である狐は美女に化け
中国の皇帝をたぶらかしては
国を傾けさせる程の
害をなしていたんだそうですね!
しかしいつまでも
そんな状態が続くわけもなく
正体が見破られると
日本に逃げてくるんです~
当然、妖狐は日本に来てからも
おとなしくするはずも無く
『玉藻前(たまものまえ)』という美女に化け
鳥羽上皇(とばじょうこう・第74代天皇)を
たぶらかします。
しばらくすると
鳥羽上皇は体調を崩し
床にふせる日が多くなってしまいました。
医師に見てもらっても
原因が全くわからないので
陰陽師である
安倍泰成(あべのやすなり・安倍晴明の子孫)に
占わせたところ
玉藻前による仕業という事がわかったんですね
安倍泰成は玉藻前の正体を見破り
真言を唱え変身を解きます!
変身を解かれた妖狐は
白面金毛九尾の狐の姿で
宮中を飛び出し
東の空に逃げていったそうです。
しかしその後も
下野国(しもつけのくに・現在の栃木県)の
那須野原(なすのがはら、なすのがはら)で
妖狐は悪さをしていたらしく
その噂を聞いた鳥羽上皇は
上総広常(かずさひろつね・上総介)と
三浦義明(みうらよしあき・三浦介)らに
妖狐を退治するよう勅命を出しました
※上総は現在の千葉県、三浦は現在の神奈川県の事で、介は4つの地位に分けられる国司の2番目の地位を表します。
上総介と三浦介は神前で
100日間の行を行い、妖狐退治に出かけます。
上総介は弓で2本の矢を放ち
見事、妖狐のお腹と首を射抜く事に成功すると
すかさず三浦介が刀でとどめをさしたそうです。
妖狐は、その後
巨大な毒石になったんだそうで
近寄る人や動物を殺していたみたいですよ。
すさまじい力だったんですね
そういった事から
この石は『殺生石(せっしょういし)』と
呼ばれて、大変恐れられました。
しかし南北朝時代に
毒石の話を聞いた
玄翁(げんのう)という禅僧が
なんと!石を杖で叩いて割り
妖狐を成仏させたんだそうですよ!
近寄れるだけでも凄いのに
成仏までさせるとは
当時の人もかなりビックリしたでしょうね
ちなみに石を割る金槌(かなづち)の事を
玄翁というのはこの事によるそうです。
その後、3つに割れた石の1つで
地蔵菩薩を造り、鎌倉のお堂を建てて
安置したと言われています。
![割れた石から作られた殺生石鎌倉地蔵](2014/09/24/01/2014-09-24-3.jpg)
時は移って江戸時代になると
このお地蔵さんを信仰していた
甲良豊後守(こうらぶんごのかみ)の
夢枕に地蔵尊が現れ
「私を真如堂に移しなさい!」
と告げたんだそうです。
こういった経緯で
現在、このお地蔵さんは
真如堂にあるというわけなんですね
そんな恐ろしい毒石で出来た
殺生石鎌倉地蔵は現在
無実の罪を晴らしたり
心の病が治るといった
ご利益があると言われているんですよ。
ちなみに殺生石鎌倉地蔵の
お守りは本堂で売られていました。
![本堂で売られていたお守り](2014/09/24/01/2014-09-24-5.jpg)
この妖狐の話は
御伽草子(おとぎぞうし)の
『玉藻の草子』などに描かれています
※御伽草子とは、鎌倉時代から江戸時代にかけて成立した挿絵入りの物語の事です。
これからの時期
紅葉が魅力的な場所なので
訪れた際は地蔵堂に
立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
そんな殺生石鎌倉地蔵のある
真如堂の場所はコチラ↓
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