今回ご紹介するのは

京都市左京区にある

聞名寺

聞名寺(もんみょうじ)です!


聞名寺の創建についての

詳しい年などはわかっていませんけれど

平安時代、光孝天皇(こうこうてんのう・第58代天皇)が

まだ親王であった頃に眼病を患い

その病気平癒の為に地蔵尊を安置したのが

始まりとされているんですよ


その後、光孝天皇が崩御すると

遺勅によって小松寺と称して

天台宗のお寺となったそうです


ちなみに小松寺という名前は

地蔵尊を安置したのが

平安京の左京・大炊御門(おおいみかど・現在の室町通竹屋町下ル道場町)の

小松殿であった事に由来しているそうですよ~


小松殿は、光孝天皇の生誕所でもあり

天皇に即位するまで住居となっていました。

※光孝天皇は、歴史上初めて『関白』という役職を置いた天皇でもあります。詳しくは福王子神社の記事をご覧ください。


その後お寺は

荒廃してしまったそうなんですけれど

鎌倉時代に遊行(ゆぎょう)上人と呼ばれる一遍(いっぺん)が

時宗(じしゅう)の大炊道場として

名を聞名寺と改め再興したそうです♪


洛陽第十七番地蔵尊 大炊道場聞名寺

この時に天台宗から時宗遊行派のお寺へと変わっています

※一遍上人について詳しくは、長楽寺 その1の記事をご覧ください。


しかし1708年(宝永5年)に起こった

宝永の大火(ほうえいのたいか)によって焼失してしまい

その後、現在の地に再建したと言われています。


では中に入っていきましょう


明眼地蔵大菩薩と書かれていた提灯

山門にかかっていた提灯です。明眼地蔵大菩薩と書かれています。


まずこちらの山門をくぐると


たくさんの身代地蔵

右側には、たくさんの身代地蔵が

並んでいました。


そして、こちらにある地蔵堂に安置されている

明眼地蔵(めいげんじぞう・あけめじぞう)が


地蔵堂

先ほどお話した

光孝天皇が病気平癒の為に

安置したとされるお地蔵さんなんです!!


光孝天皇が時康親王(ときやすしんのう)だった頃

眼病を患ったそうなんですけれど

当時の医学では、治す事が出来なかったんですね。


そこで加茂の明神に

眼病平癒のご祈祷をされたそうです


すると17日後の夜に

あるおじいさんが夢枕に立ち

「眼を治したければ、地蔵菩薩を彫り、それを守護仏にしなさい」

とお告げがあったんだそうですよー


このお告げを聞いた時康親王は

慈覚大師(じがくだいし)円仁(えんにん)に

地蔵菩薩を彫らせて

完成した地蔵菩薩を安置したところ

時康親王の眼が治ったと言われています


それ以降、この地蔵尊には

眼病平癒のご利益があると

信じられているんですね~


ちなみにこちらの明眼地蔵は

普段は閉まっているんですけれど

毎月24日にご開帳され

見ることが出来るみたいですよ

※明眼地蔵は洛陽第十七番地蔵尊です。


こちらは本堂です。


本堂

本堂の中にはご本尊である

阿弥陀如来坐像が安置されているそうです。


そして、本堂の前には

光孝天皇の供養塔である

光孝天皇塔(七重石塔)

光孝天皇塔(七重石塔)がありました。


また本堂の裏には墓地があり

墓地の中にも大きな石仏が置かれてました♪


釘抜地蔵の写しとも言われる石仏

こちらの石仏は鎌倉時代の作と伝わり

一説には、石像寺の石仏(釘抜地蔵)の

写しとも言われているんですよ~

※石像寺について詳しくは、釘抜地蔵(石像寺)の記事をご覧ください。


そんな明眼地蔵のある聞名寺の場所はコチラ↓


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