京都市上京区の寺町通りにある
佛陀寺(ぶっだじ)です!
※仏陀寺とも書かれていますけれど、佛陀寺で統一します。
この季節、佛陀寺では
百日紅(サルスベリ)がとても綺麗なんですよ
佛陀寺は大蔵院と号する
西山浄土宗のお寺です。
950年に朱雀天皇(すざくてんのう・第61代天皇)が崩御すると
村上天皇(むらかみてんのう・第62代天皇)が朱雀天皇の遺志をついで
仙洞朱雀院をお寺にして
別院・大蔵院を創建したのが
お寺の始まりなんだそうです
佛陀寺という名は
朱雀天皇の法号である『佛陀寿』にちなんで
名付けられたと言われています。
ちなみに仙洞朱雀院とは
朱雀大路にあったお寺で
朱雀天皇が
946年、弟の村上天皇に
天皇の位を譲位してから
父である醍醐天皇(だいごてんのう・第60代天皇)の
菩提を弔うため出家した際
法要を行った場所なんですよ
このような経緯から
開祖は朱雀天皇と村上天皇の
2人となっています。
ちなみに伏見区にある醍醐寺(だいごじ)も
朱雀天皇が父である醍醐天皇を弔う為に発願し
村上天皇により建てられたと言われていますよね
※醍醐寺について詳しくは、醍醐寺 その2の記事をご覧ください。
さて、そんな佛陀寺なんですけれど
1467年から始まる応仁の乱(おうにんのらん)で
焼失してしまいます
けれど1476年には邦諫(ほうかん・僧)が
後土御門天皇(ごつちみかどてんのう・第103代天皇)の帰依を受けて
土御門西洞院(にしのとういん)に再興させるんですよ。
その後、土御門天皇の勅願所となったようです
そして、安土桃山時代になると
豊臣秀吉(とよとみひでよし)によって
現在地へと移されたというわけなんですね。
それではレポートしていきましょう
まず山門を抜けると
目の前に本堂があります。
本堂には、ご本尊である
木造の阿弥陀如来坐像が安置されています。
阿弥陀如来坐像は平安時代後期の作と推定されていて 定朝様式(じょうちょうようしき)と言われています。
定朝様式とは
平安時代の仏師である
定朝(じょうちょう)から始まった
和様の仏像彫刻様式の事で
浅い彫りや平明で優雅なのが特徴なんですね
こちらは本堂にかけられていた額です。
そして境内西側にある梵鐘(ぼんしょう)です。
梵鐘の近くにあった手水鉢です。
山門前の北側には地蔵堂があり
王城地祭地蔵(おうじょうちさいじぞう)が安置されていました。
ちなみに佛陀寺の王城地祭地蔵は
江戸時代中頃
洛陽48願所地蔵尊の第21番に
数えられていたと言われています
※洛陽48願所地蔵巡りとは、六地蔵以外で48ヶ寺の地蔵を順番に回って拝むというものです。以前ご紹介した事のあるものは、第18番札所の歯形地蔵、第19番札所の木槿地蔵、第47番目の新善光寺です。
そして冒頭でもご紹介しましたけれど
現在、本堂前の百日紅が見ごろなんですよ~!!
こちらが百日紅です♪
佛陀寺は百日紅だけでなく
ハスやフジなど
1年中いろいろな花が咲いていますので
ご興味のある方は見に行かれてみてはいかがでしょうか。
そんな佛陀寺の場所はコチラ↓
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