今回ご紹介するのは
南区の九条千本東入ルにある
矢取地蔵寺(やとりじぞうじ)です!
隣には羅城門跡地(らじょうもんあとち)があり
近くに西寺跡(さいじあと)もある地域なんですよ~♪
矢取地蔵寺はご本尊として
矢取地蔵と呼ばれるお地蔵さんが
安置されています
かつてこの辺りにあった唐橋村(八条村)の人々によって
1885年(明治18年)に
寄進されて建てられたそうですよ。
お寺の前に建つ石碑には
左 やわた八幡宮 往来安全
右 やなぎ谷観世音菩薩
と書かれていました
それにしても矢取地蔵なんて
ちょっと変わったネーミングだと思いませんか~?
それもそのはず!
この名前はある故事にちなんだ名前だったんです
その故事というのは・・・
平安時代初期の淳和天皇(じゅんなてんのう・第53代)の時
干ばつが続き、雨が振らない日が
続いた事がありました。
困り果てた朝廷は824年(天長元年)の夏
東寺の空海(くうかい)と西寺の守敏(しゅんびん)を呼んで
神泉苑(しんせんえん)で雨乞い合戦を行わせたんです♪
空海と守敏は、ともに真言宗の僧で
日頃から事ある毎に対立していたと言われています。
そんな空海と守敏による
雨乞い合戦ですから
お互いに負けられない戦いとなったはずですよね
お寺にかかっていた額
先に動いたのは守敏の方で
彼は西寺の金堂で
三日三晩寝ずに祈祷を行ったと言われています。
しかし、とうとう雨は降らなかったそうなんですね
その後、空海が
神泉苑にある竜神の池の祠で祈祷を始めると
善女龍王(ぜんにょりゅうおう)を呼び寄せ
見事!雨を降らすことに成功するんですよ
長い事日照り続きだった都に雨が降って
誰しもが喜んでいたと思うんですけれど
守敏だけは面白いはずがないですよね~
そこで彼は悪巧みをし
羅城門の近くで空海を待ち伏せします。
そこに空海が通りかかると・・・
その瞬間!
守敏は空海の背後に向けて矢を放ったんですね
「ビュッ!!」
と音を立てて放たれた矢に
守敏は空海の死を確信していたと思います。
しかし!その矢は空海に当たる事はなく
なんと、どこからともなく現れた黒衣の僧の
右肩に当たってしまうんです。
高さ約160センチで、右肩には矢の傷のようなものがあるようです。頭には頭巾のようなものを被っています。
なにはともあれ空海は
この僧のおかげで矢を受けずに
済んだというわけですよね
実はこの黒衣の僧は
お地蔵さんの化身だったと言われ
このエピソードにより
それ以降、お地蔵さんは
矢取地蔵や矢負地蔵(やおいじぞう)と
呼ばれるようになったそうですよ
ちなみに空海と守敏の雨乞いの話は
今昔物語(こんじゃくものがたり)や
太平記(たいへいき)といった書物にも
記載されています。
少し違ったエピソードになっているので
ご興味のある方はそちらも見てみると面白いかも知れません
こちらの写真に写っている無数の地蔵は
昭和時代初期、九条通り拡張の際に
この辺りに埋まっていたものだそうで
こうして掘り出されて祀られていましたよ。
そんな矢取地蔵寺の場所はコチラ↓
より大きな地図で 矢取地蔵寺 を表示