今回ご紹介するのは

中京区の烏丸竹屋町を下がった所にある


少将井跡の由緒書

京都新聞社ビルの北西壁にある銅板の由緒書


少将井跡(しょうしょうのいあと、しょうしょういあと)です!


この場所は、諸説あるようですけれど

少将井尼と呼ばれた歌人の邸宅があった場所で

邸宅は少将井や少将院、少将井殿と呼ばれていたようですよ。


そして邸宅の庭には

『枕草子(まくらのそうし)』でも記述されている

京都の名水と呼ばれた

少将井があったそうです

※現在は京都新聞社のビルが建っています。


こちらの少将井舊跡(しょうしょうのいきゅうせき、しょうしょういきゅうせき)の石碑は


少将井舊跡の石碑

京都新聞社の東側の民家の前に建つ少将井舊跡の石碑


京都新聞社の東側にある

民家の前に建てられています


1972年(昭和47年)には

少将井後の発掘調査を

京都新聞社が平安博物館(現在の京都文化博物館)に

依頼して実施したそうですよ。


その際には、平安時代の泉水は見つからなかったそうですけれど

鎌倉時代から近代までの井戸跡が

数多く見つかったと言われています


その後この少将井のあった場所は

少将井御旅所と呼ばれる

祇園祭の御旅所となったそうです。

※御旅所とは神様が神様が休憩、お泊りする場所の事です。


ちなみに今年2014年から山鉾巡行は

前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)の

2回行われる事になりましたよね

※後祭について詳しくは、祇園祭の後祭(あとまつり)Q&Aの記事をご覧ください。


これはかつての祇園祭の山鉾巡行の

姿を復活させた形となるんですよ~


そんな、1回目の巡行がある17日の午後には

三基の神輿が御旅所に移動する

神幸祭(しんこうさい)が行われます。


普段は八坂神社にいる神様なんですけれど

この日から24日までは

神様が市井の人々の暮らしを見に

御旅所までやってきてくれるんですね


現在は、四条寺町に御旅所がありますけれど


神輿

四条寺町にある『八坂神社御旅所(やさかじんじゃおたびしょ)』


もともとは下京区烏丸仏光寺を下がった場所にある

大政所御旅所と今回ご紹介している


大政所御旅所

大政所御旅所


中京区の烏丸竹屋町下ルの少将井御旅所の2ヶ所だったんです。


ちなみに大政所御旅所には

素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀る中御座(なかござ)の神輿

そして八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)を祀る西御座(にしござ)の神輿が安置され

少将井御旅所には

櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)を祀る東御座(ひがしござ)の神輿が安置されていたそうですよ


その後、少将井御旅所は

豊臣秀吉(とよとみひでよし)によって

現在の四条寺町の御旅所に

統合されたというわけなんです。


少将井御旅所の跡地には

天王社が建てられたそうですけれど

1877年(明治10年)に京都御苑内にある

宗像神社境内に移動しました。


宗像神社境内にある少将井社

宗像神社境内にある少将井社


今でも祇園会(ぎおんえ)の日には

八坂神社より神職が神饌を奉納し

祇園祭の報告をされているそうですよ


ちなみに祇園会とは

24日に行われる還幸祭の事で

祇園祭のメインイベントです


祇園祭のメインは

山鉾巡行と勘違いされている方が

よくいらっしゃるんですけれど

山鉾巡行は神幸祭や還幸祭が行われる前の

露払い(穢れを払う事)なんですよ。


還幸祭は祇園祭の古い呼び名である

『祇園会』とも呼ばれている事からも

この日がクライマックスだとわかりますよね

※神幸祭は『神輿迎え』とも呼ばれています。還幸祭について詳しくは、祇園祭 2012 還幸祭(八坂神社)の記事をご覧ください。


そんな少将井跡の場所はコチラ↓


より大きな地図で 少将井跡 を表示
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