今回ご紹介するのは
中京区の烏丸竹屋町を下がった所にある
![少将井跡の由緒書](2014/07/28/01/2014-07-28-1.jpg)
京都新聞社ビルの北西壁にある銅板の由緒書
少将井跡(しょうしょうのいあと、しょうしょういあと)です!
この場所は、諸説あるようですけれど
少将井尼と呼ばれた歌人の邸宅があった場所で
邸宅は少将井や少将院、少将井殿と呼ばれていたようですよ。
そして邸宅の庭には
『枕草子(まくらのそうし)』でも記述されている
京都の名水と呼ばれた
少将井があったそうです
※現在は京都新聞社のビルが建っています。
こちらの少将井舊跡(しょうしょうのいきゅうせき、しょうしょういきゅうせき)の石碑は
![少将井舊跡の石碑](2014/07/28/01/2014-07-28-2.jpg)
京都新聞社の東側の民家の前に建つ少将井舊跡の石碑
京都新聞社の東側にある
民家の前に建てられています
1972年(昭和47年)には
少将井後の発掘調査を
京都新聞社が平安博物館(現在の京都文化博物館)に
依頼して実施したそうですよ。
その際には、平安時代の泉水は見つからなかったそうですけれど
鎌倉時代から近代までの井戸跡が
数多く見つかったと言われています
その後この少将井のあった場所は
少将井御旅所と呼ばれる
祇園祭の御旅所となったそうです。
※御旅所とは神様が神様が休憩、お泊りする場所の事です。
ちなみに今年2014年から山鉾巡行は
前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)の
2回行われる事になりましたよね
※後祭について詳しくは、祇園祭の後祭(あとまつり)Q&Aの記事をご覧ください。
これはかつての祇園祭の山鉾巡行の
姿を復活させた形となるんですよ~
そんな、1回目の巡行がある17日の午後には
三基の神輿が御旅所に移動する
神幸祭(しんこうさい)が行われます。
普段は八坂神社にいる神様なんですけれど
この日から24日までは
神様が市井の人々の暮らしを見に
御旅所までやってきてくれるんですね
現在は、四条寺町に御旅所がありますけれど
![神輿](2012/07/23/02/2012-07-23-1.jpg)
四条寺町にある『八坂神社御旅所(やさかじんじゃおたびしょ)』
もともとは下京区烏丸仏光寺を下がった場所にある
大政所御旅所と今回ご紹介している
![大政所御旅所](2014/07/18/01/2014-07-18-1.jpg)
中京区の烏丸竹屋町下ルの少将井御旅所の2ヶ所だったんです。
ちなみに大政所御旅所には
素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀る中御座(なかござ)の神輿
そして八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)を祀る西御座(にしござ)の神輿が安置され
少将井御旅所には
櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)を祀る東御座(ひがしござ)の神輿が安置されていたそうですよ
その後、少将井御旅所は
豊臣秀吉(とよとみひでよし)によって
現在の四条寺町の御旅所に
統合されたというわけなんです。
少将井御旅所の跡地には
天王社が建てられたそうですけれど
1877年(明治10年)に京都御苑内にある
宗像神社境内に移動しました。
![宗像神社境内にある少将井社](2013/10/02/01/2013-10-02-9.jpg)
宗像神社境内にある少将井社
今でも祇園会(ぎおんえ)の日には
八坂神社より神職が神饌を奉納し
祇園祭の報告をされているそうですよ
ちなみに祇園会とは
24日に行われる還幸祭の事で
祇園祭のメインイベントです
祇園祭のメインは
山鉾巡行と勘違いされている方が
よくいらっしゃるんですけれど
山鉾巡行は神幸祭や還幸祭が行われる前の
露払い(穢れを払う事)なんですよ。
還幸祭は祇園祭の古い呼び名である
『祇園会』とも呼ばれている事からも
この日がクライマックスだとわかりますよね
※神幸祭は『神輿迎え』とも呼ばれています。還幸祭について詳しくは、祇園祭 2012 還幸祭(八坂神社)の記事をご覧ください。
そんな少将井跡の場所はコチラ↓
より大きな地図で 少将井跡 を表示