今回ご紹介するのは
京都市下京区にある
![大政所御旅所](2014/07/18/01/2014-07-18-1.jpg)
大政所御旅所(おおまんどころおたびしょ)です!
こちらの大政所御旅所は
祇園祭の還幸祭(かんこうさい)の時に
神輿が立ち寄り、神事が行われるんですよ
※還幸祭について詳しくは、祇園祭 2012 還幸祭(八坂神社)の記事をご覧ください。
![大政所御旅所で行われる神事の様子](2014/07/18/01/2014-07-18-5.jpg)
神事の様子
もともとこの場所は17日から24日まで
祇園祭の3基の神輿のうちの2基
素戔嗚尊(スサノオノミコト)が乗る
中御座(なかござ)の神輿と
八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)が乗る
西御座(にしござ)の神輿が
安置される場所だったんです
つまり神様が留まる御旅所だったというわけなんですね。
ちなみに残りの1基
櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)が乗る
東御座(ひがしござ)の神輿は
かつて烏丸竹屋町にあった
少将井御旅所(しょうしょうのいおたびしょ)に安置されていました。
※現在は京都新聞社になっています。祠は京都御苑の中にある宗像神社(むなかたじんじゃ)境内に少将井社として移されています。
![宗像神社境内にある少将井社](2013/10/02/01/2013-10-02-9.jpg)
宗像神社境内にある少将井社
また、中御座を大政所(おおまんどころ)と呼び
東御座の神輿を少将井(しょうしょうのい)
西御座の神輿を八王子(はちおうじ)と呼んでいたそうですよ
大政所である中御座が安置されるから
大政所御旅所と言ったんですね~
![石碑](2014/07/18/01/2014-07-18-3.jpg)
でもなぜこの場所が
大政所の御旅所になったんでしょうか
それは・・・
平安時代末期
この場所に住んでいた秦助正(はたのすけまさ)が
夢で八坂大神から
「我は悪王子である 汝の家を影向の地とせん
20日後には祇園大神がその居宅に神幸されるから
速に朝廷に奏問せよ」との信託を受けた事や
翌朝、庭から八坂神社まで蜘蛛の糸が続いていたのを
朝廷に伝えたところ
円融天皇(えんゆうてんのう・第64代天皇)も同じ夢を見ていたので
御旅所が建てられる事になったそうなんです
円融天皇も話を聞いていて
きっとビックリしたんでしょうね
![こま札](2014/07/18/01/2014-07-18-2.jpg)
その後、長い間御旅所だったんですけれど
天文法華(てんもんほっけ・1536年)の乱のために
焼失してしまったそうです
※天文法華の乱について詳しくは、常寂光寺の記事をご覧ください。
そして1591年(天正19年)には
豊臣秀吉(とよとみひでよし)が
御旅所を四条寺町(現在の御旅所の場所)に変更したことにより
こちらには安置されなくなってしまったんですね。
しかし町の人々は
そこに小さな祠を建てて
八坂神社から八坂大神を勧請し祀ったそうですよ
![八阪と書かれた額](2014/07/18/01/2014-07-18-4.jpg)
こちらは額なんですけれど、八坂ではなく、八阪と書かれています。
また、一昔前までは
神剣拝戴(しんけんはいたい)という神事が
行われていたそうなんです
どんな神事かと言いますと
長刀鉾につけられている長刀を15日午後6時に
大政所御旅所に移して
次の日の神事の後に厄除け祈願のために
一般の人々にも拝戴させていたそうですよ。
※長刀を作ったといわれる伝説の刀鍛冶、三条小鍛治宗近(さんじょうこかじむねちか)について詳しくは、合槌稲荷神社の記事をご覧ください。
あの立派な長刀を間近で見る機会があったなんて
羨ましいですね♪
祇園祭がかつての形態に戻ったように
神剣拝戴も復活しないかな~
そんな大政所御旅所の場所はコチラ↓
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