今回ご紹介するのは
京都市下京区にある
大政所御旅所(おおまんどころおたびしょ)です!
こちらの大政所御旅所は
祇園祭の還幸祭(かんこうさい)の時に
神輿が立ち寄り、神事が行われるんですよ
※還幸祭について詳しくは、祇園祭 2012 還幸祭(八坂神社)の記事をご覧ください。
神事の様子
もともとこの場所は17日から24日まで
祇園祭の3基の神輿のうちの2基
素戔嗚尊(スサノオノミコト)が乗る
中御座(なかござ)の神輿と
八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)が乗る
西御座(にしござ)の神輿が
安置される場所だったんです
つまり神様が留まる御旅所だったというわけなんですね。
ちなみに残りの1基
櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)が乗る
東御座(ひがしござ)の神輿は
かつて烏丸竹屋町にあった
少将井御旅所(しょうしょうのいおたびしょ)に安置されていました。
※現在は京都新聞社になっています。祠は京都御苑の中にある宗像神社(むなかたじんじゃ)境内に少将井社として移されています。
宗像神社境内にある少将井社
また、中御座を大政所(おおまんどころ)と呼び
東御座の神輿を少将井(しょうしょうのい)
西御座の神輿を八王子(はちおうじ)と呼んでいたそうですよ
大政所である中御座が安置されるから
大政所御旅所と言ったんですね~
でもなぜこの場所が
大政所の御旅所になったんでしょうか
それは・・・
平安時代末期
この場所に住んでいた秦助正(はたのすけまさ)が
夢で八坂大神から
「我は悪王子である 汝の家を影向の地とせん
20日後には祇園大神がその居宅に神幸されるから
速に朝廷に奏問せよ」との信託を受けた事や
翌朝、庭から八坂神社まで蜘蛛の糸が続いていたのを
朝廷に伝えたところ
円融天皇(えんゆうてんのう・第64代天皇)も同じ夢を見ていたので
御旅所が建てられる事になったそうなんです
円融天皇も話を聞いていて
きっとビックリしたんでしょうね
その後、長い間御旅所だったんですけれど
天文法華(てんもんほっけ・1536年)の乱のために
焼失してしまったそうです
※天文法華の乱について詳しくは、常寂光寺の記事をご覧ください。
そして1591年(天正19年)には
豊臣秀吉(とよとみひでよし)が
御旅所を四条寺町(現在の御旅所の場所)に変更したことにより
こちらには安置されなくなってしまったんですね。
しかし町の人々は
そこに小さな祠を建てて
八坂神社から八坂大神を勧請し祀ったそうですよ
こちらは額なんですけれど、八坂ではなく、八阪と書かれています。
また、一昔前までは
神剣拝戴(しんけんはいたい)という神事が
行われていたそうなんです
どんな神事かと言いますと
長刀鉾につけられている長刀を15日午後6時に
大政所御旅所に移して
次の日の神事の後に厄除け祈願のために
一般の人々にも拝戴させていたそうですよ。
※長刀を作ったといわれる伝説の刀鍛冶、三条小鍛治宗近(さんじょうこかじむねちか)について詳しくは、合槌稲荷神社の記事をご覧ください。
あの立派な長刀を間近で見る機会があったなんて
羨ましいですね♪
祇園祭がかつての形態に戻ったように
神剣拝戴も復活しないかな~
そんな大政所御旅所の場所はコチラ↓
大きな地図で見る