今回ご紹介するのは
四条室町を上がった場所にある
![菊水の井跡 大黒庵武野紹鴎邸跡](2014/07/11/01/2014-07-11-1.jpg)
菊水の井跡(きくすいのいあと) 大黒庵武野紹鴎邸跡(だいこくあんたけのじょうおうていあと)です!
2つの名所が重なっていますので
1つずつ、ご紹介していきますね
まずは菊水の井跡から
いってみましょう!
室町時代、この場所には
恵比寿様をお祀りする夷の社(えびすのやしろ)があったそうで
その社の隅に『菊水の井』という
名水の井戸が存在していたそうなんです
現在、菊水の井跡のある場所は
ビルが建っていますけれど
以前は金剛能楽堂(こんごうのうがくどう)だったと言われています。
※金剛能楽堂とは、唯一京都に本拠を置く金剛流が使用していた能の舞台の事です。
ビルの建設にあたって
跡地から井戸の遺構である
![『菊水』の文字入りの井桁組み石](2014/07/11/01/2014-07-11-3.jpg)
『菊水』の文字入りの井桁組み石等が
発見されたんですよ~。
もう既に菊水という名前に
ピンときてる方もいると思いますけれど
祇園祭の『菊水鉾(きくすいほこ)』は
この菊水の井に由来しているんですね
※菊水という名前は、中国の故事から取られています。詳しくは、祇園祭 菊水鉾(八坂神社)の記事をご覧ください。
ちなみに菊水の井跡のある場所は
※昔は、夷三郎町といったそうです。
そしてこの菊水の井跡の横には
![大黒庵武野紹鴎邸跡と書かれた石碑](2014/07/11/01/2014-07-11-2.jpg)
大黒庵武野紹鴎邸跡と書かれた石碑が建てられていました!
菊水の井をこよなく愛したと言われる
武野紹鴎(たけのじょうおう)が
営んだ大黒庵があった場所でもあるんですね
武野紹鴎は天下三宗匠(てんかさんそうしょう)である
千利休(せんのりきゅう)、今井宗久(いまいそうきゅう)、津田宗及(つだそうぎゅう)の師匠
だった人物なんです!
※侘茶(わびちゃ)を完成させた利休は「術は紹鴎、道は珠光より」と説いたと言われています。
武野紹鴎は安土・桃山時代
堺の豪商の家に生まれたそうです。
のちに茶道に目覚め
村田宗珠(むらたそうしゅ)から茶の湯を学びました。
茶道に侘び、寂びを持ち込んだ人物とも言われています
※村田宗珠は、侘び茶というスタイルを作った村田珠光(むらたじゅこう)の養子となった人です。
その後、禅宗を学び、24歳で上京すると
菊水の井のある夷の社の隣に
庵を結んだと言われているんですね。
それが大黒庵という名前なんですけれど
これは恵比寿大黒にちなんでつけたんだそうですよ
とっても縁起の良い名前ですよね。
ちなみに、この場所に庵を結んだ理由として
菊水の井があったからと言われています。
お茶を点てるときに使っていたんですね
![新町御池での菊水鉾・辻回し](2014/07/11/01/2014-07-11-4.jpg)
祇園祭・菊水鉾辻回しの様子
ちなみに菊水鉾では
祇園祭の13日から16日まで
表千家、裏千家、遠州流(えんしゅうりゅう)の方々による
お茶席が設けられますので
ご興味のある方は足を運ばれてみてはいかがでしょうか。
※遠州流とは、茶人や作庭家として知られる小堀遠州(こぼりえんしゅう)を開祖とする流派です。
そんな菊水の井跡 大黒庵武野紹鴎邸跡のある場所はコチラ↓
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