今回ご紹介するのは
右京区の広沢池(ひろさわいけ)の西畔にある
![児神社](2014/07/03/01/2014-07-03-1.jpg)
児神社(ちごじんじゃ)です!
ちなみに広沢池は自然に出来た池ではなく
人工的に作った池なんですよ~
![通称、遍照寺池](2014/07/03/01/2014-07-03-0.jpg)
通称、遍照寺池(へんじょうじいけ)とも呼ばれています。
広沢池では夏になると
灯籠流しが行われる事でも有名ですよね
※詳しくは、広沢池灯篭流し 2012(広沢池・児神社)の記事をご覧ください。
ちなみに広沢池は、この近くにある
大沢池(おおさわいけ)よりも大きく
日本三沢の1つに数えられています。
池の周りの道は
千代の古道(ちよのふるみち)と言って
平安時代の貴族がお月見などの際に
通った道なんだそうですよ
そんな広沢池の畔にある児神社は
詳しい創建年月日はわかっていないそうです
![兒神社と書かれた石碑](2014/07/03/01/2014-07-03-2.jpg)
しかし、ある悲しい出来事によって
創建された神社と言われています。
その悲しい出来事とは・・・
![説明板](2014/07/03/01/2014-07-03-3.jpg)
平安時代
宇多天皇(うだてんのう・第59代天皇)の孫にあたる
寛朝(かんちょう)という真言宗のお坊さんと
その寛朝に仕える稚児(ちご)がいました。
寛朝は児神社の近くにある
遍照寺(へんじょうじ)を創建したり
真言宗で初めて大僧正(だいそうじょう)になるなど
とても立派な方だったんですね
※大僧正とは、僧侶で最も高い地位の事です。
しかし998年(長徳4年)の6月12日に
寛朝は遍照寺山腹の老松から龍となって
昇天したそうです。
つまり亡くなったというわけですよね。
それを知った稚児は大変悲しんだそうで
ついには寛朝を追って
広沢池に身を沈めたと言われているんです
そんな稚児の事を哀れんだ
近所の人達は、稚児の霊を鎮めるため
神社を建てたそうなんですね。
そういった事から
ご祭神には寛朝に仕えた稚児が
祀られているんですよ。
少し前置きが長くなりましたけれど
児神社をレポートしますね
鳥居をくぐるとすぐに見えてくるのが
![拝殿](2014/07/03/01/2014-07-03-4.jpg)
拝殿です!
そして拝殿の右前にはこんなものが
![石椅子](2014/07/03/01/2014-07-03-5.jpg)
「ちこの宮 ちごは安けく 生ひ立ちて 神の恵みの ふかきをそ知る 永休」
実は、この石
寛朝が山で座禅をして修行している際
稚児がいつも座っていたと伝わっている石椅子なんですね。
その石を境内に移してきたそうです。
しかも!この石椅子、ただの椅子ではないんですよ。
案内板を見てみると・・・
神前で一心に祈願し、この石に座れば
必ず長命・安産・縁結びが叶うと
伝えられるようになったそうなんです
つまり!
ご利益がある椅子というわけですよね
そしてこちらが本殿です。
![本殿](2014/07/03/01/2014-07-03-6.jpg)
稚児がお祀りされています。
ちなみに児神社では10月に
右京区にある阿刀神社(あとじんじゃ)とともに
例祭も行われているそうですから
長命・安産・縁結びの願いがある人は
1度、訪れてみてはいかがでしょうか
そんな児神社の場所はコチラ↓
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