今回ご紹介するのは
京都市の中京区
寺町夷川(てらまちえびすがわ)にある
本因坊発祥の地(ほんいんぼうはっしょうのち)です!
本因坊と聞いてピンと来た方は
囲碁好きの方ではないでしょうか
もしかすると少年ジャンプに掲載され
人気を誇った囲碁漫画
『ヒカルの碁』にも
本因坊という名が出てくるので
聞いた事あるかも?と言う人がいるかも知れませんね。
実は、本因坊というのは称号の事なんです
囲碁のタイトルの1つ
本因坊戦で優勝すれば
『本因坊』と名乗ることが出来るんですよ。
※本因坊戦は毎日新聞の主催により昭和に出来たそうです。
でもなぜ本因坊という
少し変わった名前なのか気になりますよね~
でも、そちらは後ほどご説明させて頂くとして
まずは囲碁を簡単にご説明しましょう。
世界三大棋類の1つと言われ
2人のプレイヤーが白と黒の碁石を交互に置いていき
自分の碁石で囲んだ広さを争う
陣取り合戦のようなものなんです。
ですから戦国時代には
戦のシミュレーションとして
大いに流行ったそうですよ。
そんな囲碁は中国で生まれ
一説には吉備真備(きびのまきび・奈良時代の学者)によって
日本にもたらされたと言われています
その後、平安時代には
紫式部(むらさきしきぶ)や清少納言(せいしょうなごん)も
碁を打っていたようで
源氏物語や枕草子などにも
碁を打つ貴族の様子が
描かれていたりするんですよ
そして先ほども言いましたけれど
戦国時代に入ると貴族だけで無く
武士も碁を打つようになるんですね。
そして、お待たせしました
冒頭でも言いました
本因坊の名前なんですけれど
それはある人物に由来しています。
戦国時代、もともとこの場所には
寂光寺(じゃっこうじ)というお寺があったようで
本因坊というのは塔頭の1つだったそうです。
※寂光寺は1708年の宝永の大火が原因で左京区に移りました。
そして本因坊には日海(にっかい)という
囲碁の名人と謳われたお坊さんがいたんですね。
どれほど凄い人だったのかと言いますと
日海は
織田信長(おだのぶなが)
豊臣秀吉(とよとみひでよし)
徳川家康(とくがわいえやす)
の天下人3人に囲碁を教えたと言われているんですよ
ちなみに日海は信長に
「そちはまことの名人なり!」と
賞賛されたそうなんですね。
今でも何かに秀でた人に対して
○○名人と言いますけれど
名人という言葉は
この時から使われるようになったそうです
もし日海がいなければ
今ごろは高橋名人も
普通に高橋さんと呼ばれていたかも知れませんよね
その後、日海は家康の命で
幕府の碁所(ごどころ)を任されるようになり
本因坊のお坊さんという事で
本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ)と改名します。
そして本因坊の名は囲碁界の家元となるんですね。
ちなみに囲碁で初めて
お給料(扶持・ぶち)をもらった人とも言われているんですよ
こういった事から塔頭である本因坊があった
この場所は本因坊発祥の地と言われています。
その後、本因坊の名は4つの家(本因坊家、井上家、林家、安井家)が
世襲制によって受け継いでいくことになるんですけれど
1936年(昭和11年)に第21世の本因坊秀哉(しゅうかい)が
ある主張をした事がきっかけで本因坊の名は世襲ではなくなるんです。
その主張とは・・・
「本当に強いものこそが本因坊と名乗るべきだ!!!」
というものだったそうですよ。
これがきっかけとなり本因坊の名は返上されて
本因坊戦というタイトルができ
優勝した人が名乗るようになったんですね
こちらの碁盤のモニュメントなんですけど
このモニュメントがまたすごいんですよ~
きちんと碁盤になっていまして
碁石があれば対局できちゃうんです♪
実際に2009年(平成21年)1月10日の打ち初め式では
今村俊也(いまむらとしや)九段と
滝口政季(たきぐちまさき)九段によって
碁が打たれたみたいです!
碁が打てる方は是非とも
碁石を持ってきて
こちらで打ってみてはいかがでしょうか
そんな本因坊発祥の地はコチラ↓
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