本日も京都検定の過去問を
写真と解説付きでお届けします。
是非チャレンジしてみて下さい
それでは早速、1問目です。
【問題】
平安京は、中国の( )をモデルに作られた北闕型(ほっけがた)都市である。
ア.紫禁城(しきんじょう)
イ.長安城(ちょうあんじょう)
ウ.北京城(ぺきんじょう)
エ.南京城(なんきんじょう)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
・・・
・・・
・・
では、答えですっ。
【答え】
イ.長安城
長安城は
現在の陝西省西安市(せんせいしょうせいあんし)にあたり
東西約9.7キロメートル、南北約8.7キロメートルの
長方形の都市だったと言われています。
北闕型都市とは
皇居を北側に置く都市の事なんですよ
こちらは平安京の政庁だった
朝堂院の正殿跡である大極殿跡です。
※詳しくは、大極殿跡の記事をご覧ください。
続いては2問目です。
【問題】
寛政元年(1789)から翌2年にかけて行われた京都御所の造営は、古制にならって復元することが第一とされた。その際参考にした『大内裏図考証』の作者は誰か。
ア.伊勢貞丈(いせさだたけ)
イ.二鐘亭半山(にしょうていはんざん)
ウ.裏松固禅(うらまつこぜん)
エ.喜田川守貞(いたがわもりさだ)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
・・・
・・・
・・
では、答えですっ。
【答え】
ウ.裏松固禅
裏松固禅は
江戸時代後期に活躍した
有職故実家(ゆうそくこじつか)です。
※有職故実家とは、昔の儀式や作法などを研究する人の事を言います。
平安京の大内裏(だいだいり・皇居や官庁のあった場所)を
30年に渡って研究した人なんですよ
大内裏図考証は
全30巻からなる
大内裏の構成や沿革等が書かれた資料です。
3問目に行ってみましょう!
【問題】
神明造の社殿で内宮と外宮で分かれ、古くは粟田口(あわたぐち)神明宮と呼ばれた神社はどこか。
ア.日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)
イ.大豊神社(おおとよじんじゃ)
ウ.粟田神社(あわたじんじゃ)
エ.首途八幡宮(かどではちまんぐう)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
・・・
・・・
・・
では、答えですっ。
【答え】
ア.日向大神宮
京のお伊勢さんと呼ばれ
天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀っている神社なんですよ。
東海道の入り口で
京の七口の1つ『粟田口(あわたぐち)』にある事から
旅の安全祈願に訪れる人も多かったそうです
ちなみに社殿の裏手には
古事記に登場する洞窟
『天岩戸(あまのいわと)』があるんですよ。
※詳しくは、日向大神宮の記事をご覧ください。
では最後の問題です。
1級からの出題になりますので選択問題ではありません。
ズバリでお答えください
【問題】
千家の茶の湯の道具を代々にわたって制作する「千家十職」のうち、竹細工・柄杓師として知られるのは何家か。
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
・・・
・・・
・・
では、答えですっ。
【答え】
黒田正玄家(くろだしょうげんけ)
黒田正玄家は
約400年続く家系なんですよ。
初代は元々武士で
関ヶ原の戦いで西軍につき戦ったと言われています。
その後、剃髪して正玄と名乗り
小堀遠州(こぼりえんしゅう・茶人であり作庭家)に茶を学んだそうですよ
千家とゆかりのある大徳寺
千家とは
三代正玄の時に関わりを持ったそうです。
という事で本日も4問出題させていただきました。
皆さんは何問正解されましたか?