今回ご紹介するのは
日本で最初の小学校があった
「小学校のさきがけと 世にもはえある 柳池校 そのほまれをば 身にしめて いさやつとめん 我が友よ」と書かれています。
日本最初小学校柳池校(りゅうちこう)の石碑です!
実は日本で最初の小学校は京都だったんですね
その場所には日本最初小学校柳池校と書かれた
石碑が建てられていましたよ。
しかもこの柳池校のあった場所には
現在も御池中学校(おいけちゅうがっこう)があり
日本でおそらく始めての商業スペースも入った
建物となっているんですよ
※保育所や市役所の機能の一部、老人サービスセンター、そしてカフェやレストランが入っています。
ここで柳池小学校が出来た経緯を
簡単にご説明したいと思います
柳池校はもともと上京第二七番小学校といわれ
1869年(明治2年)の5月21日に開校しました。
のちに柳池小学校と名前を変えたんですね。
※その後、柳池小学校は柳池中学校になり統廃合を経て2003年に御池中学校として開校しました。
そしてこの柳池校の凄いところは
1872年の日本最初の近代的学校制度を定めた教育法令
『学制(がくせい)』よりも早くに作られているんですよ
つまり!
全国に小学校を作るという法律よりも先に
京都では小学校がすでにスタートしていたんですね~
さらに!
この時、京都に作られた小学校は
1年以内に64校も開校したんです。
しかも誕生した小学校は
京都に住む人々の意思で
お金を出し合って建てられたものだったんですよ
政府の指示で作られたものでは無く
京都の町の人々が自ら作った学校だったんですね。
かなり凄い事ですよね!
この時に作られた小学校は
全ての人間が平等に教育を受けられるという
今までの藩校には無いコンセプトを持っていたそうです。
※それまでの藩校は武士や町民が行く学校が分かれていました。
でもどうして京都で
全国に先駆けて小学校がスタート出来たのでしょうか
その理由はと言いますと・・・
明治に入り
事実上の東京遷都によって
京都の町はそれまでとは違い、活気を失っていたんですね。
そんな中、京都の人々は
「このままではダメだ!再び京都を活気ある街にしなくては!」
と立ち上がり
「有能な人材を育てよう!そのためには教育が必要だ!」
と思い立ったんだそうです。
つまり京都を再び活気ある街にするためには
人材育成が必要だと考えたんですね
そして京都府は
寺子屋を営む篤志軒(とくしけん)8代目の西谷淇水(にしたにきすい)が
1867年~68年に公立学校の設置を政府に言うと
初代知事である長谷信篤(ながたにのぶあつ)と
のちの2代目府知事となる植村正直(うえむらまさなお)らが
京都の街にもともとあった生活共同体である町組(ちょうぐみ)ごとに
小学校を作るというものを構想したと言われています。
その後、町組は番組(ばんぐみ)と改正され
三条通より北である上京に33
南である下京に32
合わせて65の行政区画を敷きました。
1番組に1小学校が作られ
64の小学校が作られる事となったわけなんですね
※2町組で1小学校の所があったために65では無く、64となったそうですよ。
ちなみにこの時の小学校建設費はどうしたのかと言いますと
京都府が1番組に800両を貸し出したり
京都の人々のかまど金(またはかまど銭)と呼ばれる寄付でまかなったりしたそうです
※ちなみに1885年に着工した琵琶湖疏水事業(125万円・当時の国家予算は100万円)でも、その工事費用の多くを京都市民が負担したんですよ。詳しくは、田辺朔朗博士像の記事をご覧ください。
また、学校運営には
小学校会社を作り、集まった資金を貸し付けて
その利子で学校経営するという非常にユニークなものだったんですね。
まるで銀行みたいな小学校ですよね
※当初は、警察署や消防署なども一緒になった複合施設だったそうです。
そして気になる授業の方はと言いますと
毎日午前6時から午後4時までとなっていて
基本的な休みも月に1日と15日の2回だけだったそうです!!
後は祇園祭など特別な日だけしか休みが無いという
今からは考えられない程ハードだったようですよ
昔の人からしたら
ゆとり教育が始る前のカリキュラムでも
かなり甘い時間割だったんですね
そんな日本最初小学校柳池校の場所はコチラ↓
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