今回ご紹介するのは
祇園祭の油天神山(あぶらてんじんやま)で有名な
火尊天満宮(かそんてんまんぐう、またはひみことてんまんぐう)です!
もともとこの場所には
火伏せの社として愛宕神社(あたごじんじゃ)があったそうで
その後、藤原北家である風早(かざはや)家の
屋敷内にある菅原道真(ふじわらのみちざね)の像を
合祀したと言われているんですね。
※藤原北家というのは藤原四家の1つで藤原房前(ふじわらのふささき)を祖とする家系です。兄の藤原武智麻呂(ふじわらのむちまろ)よりも北側に邸宅を構えていた事からそう呼ばれました。
それが元で、この辺りの地域は
風早町と呼ばれるようになったそうですよ
また、火伏せの社として鎮座していた愛宕神社も
いつの間にか火尊天満宮と呼ばれるようになったんだそうです。
ご祭神には、菅原道真と
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)が
祀られています。
菅原道真は学問の神様として
非常に有名ですよね。
※菅原道真について詳しくは菅大臣神社 その1の記事をご覧下さい。
彦火火出見尊というのは
神話に登場する神様で一般的には
山幸彦(やまさちひこ)として知られています
まだ少しピン!と来ないかも知れませんけれど
初代天皇陛下であられる
神武天皇(じんむてんのう)の祖父にあたる神様なんですよ!!
ちなみに彦火火出見尊は
天孫降臨(てんそんこうりん)をした邇邇芸命(ににぎのみこと)と
絶世の美女と言われた木花開耶姫命(このはなさくやひめ)の間に生まれた
子供の1人です
※天孫降臨とは高天原(たかまがはら・天上界)から葦原中津国(あしはらのなかつくに・日本の国土の事)へ邇邇芸命が降り立った事です。天孫降臨について詳しくは、道祖神社の記事をご覧ください。
古事記では『天津日子穂穂手見命(あまつひこほほでみのみこと)』
または『火折彦火火出見尊(ほおりひこほほでみのみこと)』
といった別名があり、兄の火照命(ほでりのみこと・海幸彦)と共に
海幸山幸(うみさちやまさち)の説話に登場します。
簡単に海幸山幸の説話をご紹介しますと
海幸彦は海で仕事を
山幸彦は山で仕事をして暮らしていました。
あるとき、お互いの仕事を取り替えてみようという事になるんですけれど
なんと山幸彦は、お兄ちゃんの大事な商売道具である
釣り針を失くしてしまうんですね
これに海幸彦は大激怒!
なんとかお兄ちゃんの許しを得ようと
山幸彦は所持していた剣を砕いて釣り針にしてみたものの
怒りは収まらず途方に暮れてしまいます。
そんな時、ある翁から海神(わたつみ)を尋ねてみるように言われ
海神国(わたつみのくに)へと赴きます
そこで海神の娘である豊玉姫命(とよたまひめ)と出会い
なんと2人は恋に落ちてしまうんですね~
そのまま3年を過ごすんですけれど
ある時、山幸彦は釣り針を探していた事を思い出します!
海神にその事を話すと
釣り針を飲み込んでいた鯛から針を返してもらって
同時に、呪文と2つの宝玉を譲り受けるんですね。
呪文は釣り針を返す時に唱えるといいと言われていたので
その通りに実行すると、たちまち海幸彦は
貧乏になっていきました
これに怒った海幸彦は
弟へ襲い掛かりますが
山幸彦は譲り受けた宝玉の1つを使い
お兄ちゃんを溺れさせます!
海幸彦は命乞いをし
もう1つの宝玉を使って助け出してもらうと
それ以降、お兄ちゃんは山幸彦の家来になったと
言われています
そんな山幸彦になぜ
『火』にまつわる字が付けられているのかと言いますと
木花開耶姫命が出産した時
なんと邇邇芸命が
「本当に俺の子なの?」と
疑っちゃうんですね
これに悲しんだ木花開耶姫命は
小屋に篭り火をつけるという
大胆不敵な行動に出ました。
「普通の子であれば
火で焼かれ死んでいるはずなのに
もろともせず生きているのは
あなたの子供だからでしょ♪」
といって邇邇芸命を納得させたと言われています
この事にちなんで
『火』という字が3兄弟についているそうですよ。
ちなみに7月の祇園祭には
この風早町から油天神山が出されるんですね♪
祇園祭の際の火尊天満宮の様子。
油天神山は、風早家の屋敷に祀られていた天神像を
勧請して建てられた山なんです
その油天神山の天神像は
ここ火尊天満宮にお祀りされています。
祇園祭・山鉾巡行の際の油天神山
油天神山という名前は
油小路(あぶらのこうじ・南北通り)という
火尊天満宮の前を通る
道の名に由来すると言われています。
※油天神山について詳しくは祇園祭 油天神山(八坂神社)の記事をご覧下さい。
ちなみに豊玉姫命との間に出来た子と
豊玉姫命の妹との間に出来た4人目の子供が
後の神武天皇なんですよ~
そんな火尊天満宮の場所はコチラ↓
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