今回も写真と解説付きで
京都検定の過去問をお届けします。
是非、挑戦してみて下さいね
では1問目にいってみましょう。
【問題】
千利休の作で唯一現存する茶室、待庵(たいあん・国宝)は、( )にある。
ア.黄梅院(おうばいいん)
イ.真珠庵(しんじゅあん)
ウ.金地院(こんちいん)
エ.妙喜庵(みょうきあん)
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では、答えですっ。
【答え】
エ.妙喜庵
妙喜庵は京都市の南西
大山崎町(おおやまざきちょう)と呼ばれる地域にある
お寺なんですよ
臨済宗東福寺派の末寺として
明応年間(めいおうねんかん・1492年~1501年)に
創建されたと言われています。
待庵は
にじり口(高さ60センチ程の出入口)が設けられた
広さ2畳の茶室で、数寄屋造りの原型となっているそうですよ
※数寄屋造りとは、数奇屋(茶室)風の様式を取り入れた建築様式です。
続いて2問目にいってみましょう。
【問題】
治安2年(1022)、大仏師・定朝が地蔵菩薩を祀ったことに由来する仲源寺(ちゅうげんじ)は、( )の通称名で知られている。
ア.代受苦地蔵(だいじゅくじぞう)
イ.目疾地蔵(めやみじぞう)
ウ.染殿地蔵(そめどのじぞう)
エ.腹帯地蔵(はらおびじぞう)
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では、答えですっ。
【答え】
イ.目疾地蔵
目疾地蔵の由来は
1228年、鴨川の氾濫を抑える為
中原為兼(なかはらためかね)が
仲源寺の地蔵菩薩に
お祈りをした事に始まるんですよ。
絶大な権力を持っていた白河上皇ですら
鴨川の氾濫には手を焼いていましたが
地蔵菩薩にお祈りをすると
見事に雨が止み、洪水が収まったと言われています
この事から『雨止み地蔵(あめやみじぞう)』と呼ばれ
いつしか『あ』だけが抜けてしまい
『目疾地蔵(めやみじぞう)』と呼ばれるようになったそうです。
※ちなみに、老夫婦の眼病を治したという伝承もあるんですよ。詳しくは、仲源寺の記事をご覧下さい。
3問目にいってみましょう。
【問題】
江戸初期、後水尾天皇の皇女が入寺して以降、尼門跡となった宝鏡寺は( )とも呼ばれ、皇女和宮の遺愛の品などを所蔵している。
ア.御室御所(おむろごしょ)
イ.谷御所(たにごしょ)
ウ.百々御所(どどのごしよ)
エ.粟田御所(あわたごしょ)
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では、答えですっ。
【答え】
ウ.百々御所
宝鏡寺は
光厳天皇(こうごんてんのう・北朝初代天皇)の皇女
華林宮惠厳(かりんのみやえごん)により開山されたお寺なんですね。
宝鏡寺という名前は
後光厳天皇(ごこうごんてんのう・北朝第4代天皇)から
賜ったと言われています
歴代天皇の皇女が住職を務めた
尼門跡寺院として有名なんですよ。
御所から皇女へ数多くの人形が贈られ
それらを一般公開したり、人形供養も行われるようになった事から
いつしか『人形の寺』とも呼ばれるようになったそうです。
ちなみに和宮は
皇族から降嫁し、江戸幕府へと嫁いだ皇女で
御降嫁の際
行列の祈願を粟田神社でしたと言われています
※詳しくは、粟田神社の記事をご覧下さい。
では最後の問題です。
1級からの出題になりますので、選択問題ではありません。
ズバリでお答え下さい。
【問題】
八代集の一つである( )は、後鳥羽上皇の勅令により元久2年(1205)に編纂(へんさん)された和歌集である。
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では、答えですっ。
【答え】
新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)
新古今和歌集は
鎌倉時代初期に後鳥羽上皇により編纂された
勅撰和歌集なんですよ
勅撰和歌集とは
天皇や上皇の勅命により選ばれた和歌集の事で
平安時代の『古今和歌集』から
室町時代の『新続古今和歌集』までの
21集と言われています。
八代集とは
古今和歌集
後撰和歌集(ごせんわかしゅう)
拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)
後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう)
金葉和歌集(きんようわかしゅう)
詞花和歌集(しかわかしゅう)
千載和歌集(せんざいわかしゅう)
新古今和歌集
という8つの勅撰和歌集の総称です
ちなみに日本最古の漫画
『鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)』のある
高山寺は後鳥羽上皇より与えられた土地を
明恵(みょうえ)上人が創建したお寺なんですよ。
※詳しくは、高山寺の記事をご覧下さい。
という事で本日も4問出題させていただきました!
皆さんは何問正解されましたか?