本日は写真と解説付きで
京都検定の過去問をお届けします。
実力試しにチャレンジしてみて下さいね
それでは早速1問目にチャレンジしてみましょう。
【問題】
江戸時代の滑稽本『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』の主人公、弥次さん喜多さんの像は、どの橋の西詰にたっているか。
ア.三条大橋
イ.四条大橋
ウ.五条大橋
エ.七条大橋
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
・・・
・・・
・・
では、答えですっ。
【答え】
ア.三条大橋
三条大橋は京の七口の1つ
『粟田口(あわたぐち)』と呼ばれ
東海道五十三次の終点でした。
また日本で最初の駅伝がスタートした場所としても知られているんですよ。
東海道中膝栗毛は、江戸に住んでいた
弥次さん喜多さんが伊勢参りを思い立ち
江戸から伊勢、京都、大阪へと東海道を旅する様子を
狂言や洒落・冗談を交えながら口語調で書いた物語です
ちなみに東詰には
江戸時代に尊王論を唱えて
全国を旅した『高山彦九郎』の像があります。
また三条大橋から西の三条通りには
文明開化後に建てられ始めた
近代建築がたくさん並んでいるんですよ。
続いて2問目です。
【問題】
三千院の国宝「阿弥陀三尊像」で大和坐りをしている両脇侍は、観世音菩薩ともう一体は何か。
ア.地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
イ.勢至菩薩(せいしぼさつ)
ウ.普賢菩薩(ふげんぼさつ)
エ.文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
・・・
・・・
・・
では、答えですっ。
【答え】
イ.勢至菩薩
勢至菩薩は
智慧の光で一切を照らし
地獄道や餓鬼道へ落ちないように救う菩薩と言われています。
※大勢至菩薩(だいせいしぼさつ)とも呼ばれています。
大和坐りとは
正座の状態からやや腰を浮かした
前傾姿勢になっている坐り方なんですよ
※極楽浄土へ行きたいと願う人々を迎えに来た姿を表しているそうです。
ちなみに阿弥陀三尊像のある
『往生極楽院阿弥陀堂』は
最澄が三千院をこの地に移す前からあったと言われています。
引き続いて3問目です。
【問題】
勝林院(しょうりんいん)の本尊の阿弥陀如来は、法然・顕真(けんしん)の大原談義(問答)の折の霊験からなんと呼ばれるようになったか。
ア.うなずきの阿弥陀
イ.逆蓮華の阿弥陀
ウ.霧がくれの阿弥陀
エ.証拠の阿弥陀
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
・・・
・・・
・・
では、答えですっ。
【答え】
エ.証拠の阿弥陀
証拠の阿弥陀は
1186年、本堂で大原談義が行われた際
「念仏が民衆を救うのです」と
阿弥陀様が言われた事から
『証拠の阿弥陀』と呼ばれているんですね。
大原談義とは
「誰でも念仏を唱えるだけで救われるのか?」
と疑問に思っていたお坊さんたちに
法然が説法を説いた論議です。
ちなみに阿弥陀様は
その姿が美男子だという事から
『美男の阿弥陀』とも呼ばれているんですよ
では最後の問題です。
1級からの出題になりますので選択肢ではありません!
ズバリでお答え下さい。
【問題】
事実上の東京遷都によってさびれた京都の復興策として実施された土木事業である( )は、琵琶湖の水を活用するため、大津三保ヶ崎(おおつみほがざき)から京都蹴上(けあげ)まで水路を開削した。
答えは↓にスクロールして下さい。
シンキングタイム★
・・・
・・・
・・
では、答えですっ。
【答え】
琵琶湖疎水
琵琶湖疎水は
1885年~1890年にかけて完成した
水路の事です。
当時21歳だった
田辺朔朗(たなべさくろう)を総責任者に抜擢し
当時の国の土木予算(100万円)を上回る
125万という大金を投じて行われた1大計画なんですよ
※詳しくは、田辺朔朗博士像の記事をご覧下さい。
ちなみに蹴上という地名は
馬が誤って蹴り上げた水溜りの水が
源義経の衣服を汚し
馬に乗っていた平家の武士全員を
斬り殺したという伝説にちなんでいるそうですよ。
※詳しくは、京のユニークな地名 その4の記事をご覧下さい。
という事で今回も4問出題させて頂きました。
皆さんは何問正解されましたか?