毎日寒い日が続きますが
皆さんどうお過ごしですか~?
インフルエンザが流行ってるみたいですから
お体には気をつけて下さいね
さて、本日ご紹介するのは・・・
場所は京都市上京区猪熊通一条を少し下がった西側にあります。
黒田如水(くろだじょすい)邸跡です。
黒田如水というのは戦国時代の軍師で
今、最も話題の人物なんですよ!
と言うのも
現在(2014年)、NHKで絶賛放送中の大河ドラマ
『軍師 官兵衛』の主人公である
黒田官兵衛(くろだかんべえ)の事だからです
ちなみに本名は
『黒田孝高(くろだよしたか)』と言います。
※黒田如水とは、彼が出家した後の号の事なんですよ。
一般的には
官兵衛と呼ぶほうがわかりやすいので
これ以降は官兵衛と言いますね。
では官兵衛とは一体どんな男性だったのか・・・
気になりますよね~。
ズバリ!一言で言えば
『戦国時代最強の軍師の一人』
なんです!
※最強といいながら複数いるのかというツッコミはご遠慮下さい。
彼は、今回の大河ドラマのタイトルにもあるように
軍師として豊臣秀吉(とよとみひでよし)の元で働きます。
その中で惜しみなく才能を発揮し
最終的には秀吉に天下を獲らせるんですね
しかし、一説には
その類稀なる才能を持つあまり
『秀吉が最も警戒した男!』
なんて言われたりもするんですよ
それがわかる逸話として
1596年、伏見付近で発生した大地震
『慶長伏見地震(けいちょうふしみじしん)』で伏見城が倒壊した際
心配して秀吉の元に駆けつけると
秀吉は
「わしが死んでなくて残念じゃったの?」
と言ったといわれています
秀吉が官兵衛の事を警戒していて
こんな事を言ったのか、冗談であったのか
真実はわかりませんが、例え冗談だっとしても
少しでも脅威に感じていないと
そんな台詞、思い浮かびませんよね~
とにかく切れ者として戦国時代で
有名人だった黒田官兵衛
あの秀吉の中国大返しを成功させたのは
官兵衛の仕事と言われています。
これ以上は大河ドラマのネタバレに繋がる恐れがあるので
もっと知りたい方は両足院 その1の記事をご覧下さい。
そして今回ご紹介している黒田如水邸は
秀吉の聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)の近くにあったとされています。
※聚楽第とは秀吉の政庁及び邸宅で、京都都市計画の1つ。現在の京都御所程の大きさだったと言われています。
その名残がなんと町名に残っているんですね。
京都市上京区一条通黒門東入如水町
官兵衛の号に由来するといわれる如水(にょすい)町
読み方は少し違いますが、漢字は如水となっています。
しかし、これだけじゃないんですよ
こちらの写真を見て下さい。
京都市上京区中立売猪熊上る小寺町
これは先ほどの
如水町より南にある町なんですけれど
小寺(こでら)町と書かれているのがわかりますか?
小寺とは、なんと官兵衛が以前名乗っていた
小寺姓から取られたそうなんです。
※官兵衛は、はじめ小寺政職(こでらまさもと)に仕えており、そのとき小寺の姓を名乗っていたんですね。
しかし黒田町ならまだなんとなくわかりますが
小寺姓のほうを採用しちゃうなんて・・・
どのような経緯で決まったのかはわかりませんが
今でも町名に残っているのを考えると
町の人にとっても愛されていたんでしょうね
そんな黒田如水邸跡の場所はコチラ↓
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