今回ご紹介する石碑は・・・
小倉餡発祥之地(おぐらあんはっしょうのち)です
和菓子好きならご存知の方も多いはず!
この石碑の建つ小倉と呼ばれるエリア一帯は
小倉餡(おぐらあん)が生まれた場所だと言われています。
※石碑は二尊院(にそんいん)の境内にあり、場所は京都の嵯峨エリア(京都市北西部)になります。
あの『小倉あんぱん』は、この小倉餡が入っている事から
そう呼ばれているんですよ。
ちなみに、この小倉という名前はすぐ近くに
小倉山がある事から付いた名で
あの『小倉百人一首』も、この地で選定された事からその名が付きました。
では、小倉餡がいかにして誕生したのか?について
ご説明したいと思います
誕生するきっかけとなったのは
平安時代初期の僧・空海(くうかい)が唐より持ち帰ったと言われる
小豆『小倉大納言(おぐらだいなごん)』です
809年、空海がこの小豆の種子を日本に持ち帰ってから
11年後の・・820年!!
この『小豆』と、御所から下賜(かし)された『砂糖』を煮つめて
『餡』が誕生する事となりましたっ
この『餡』を作った人こそ
小倉の地に住んでいた『和三郎(わさぶろう)』という菓子職人です
※彼は当時、亀の甲せんべいを作っていたようで、これも空海が唐より持ち帰ったモノの1つだったそうです。
こうして完成した餡は
御所に献上されたと言います
和三郎が作った餡は大変好評だったようで
朝廷から和三郎に対し、『亀屋和泉』という名前までいただいたそうです。
この他、和三郎は小豆の栽培技術を広め
餡の普及に多大なる貢献をしたと言われています。
当時は、まだまだ一般の人が口に出来るようなものではなく
高級品だったようですね。
※かつては落柿舎(らくししゃ・向井去来の草案)前にて小豆の栽培が行われていたそうですよ。
840年に和三郎は死去しますが
彼の功績を称え、社を組み
和泉明神という名前で祀られる事となりました
ちなみに、一般の人がこの小倉餡を
口に出来るようになったのは
江戸時代頃からだと言われていて
茶道のお菓子として用いられる事となったんですね
毎年3月には『小倉餡発祥の碑』前で顕彰式が行われています。『小倉ぜんざい』も振舞われるんですよ。詳しくは小倉あん発祥地・顕彰式 2013(二尊院)の記事をご覧下さい。
こうした京で生まれた菓子の技術は
現在の日本の和菓子の
源流にもなったと言われています。
ちなみに、和三郎が栽培を行っていた
『小倉大納言』という小豆も
いつしか、作られなくなっていたようですが
このブランドを再び現在に蘇らせたのが・・・
京都の老舗和菓子メーカー
井筒八ッ橋本舗(いづつやつはしほんぽ)!!
小倉大納言発祥の地である
小倉の風土にて栽培された小豆は
大粒で、皮が柔らかく、味や香りが濃いのが特徴だそうです
小倉大納言ならではの
風味豊かな小豆なんだそうですよ
そんな小倉餡発祥之地の石碑の場所はコチラ↓
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