今回は、幕末にゆかりの石碑を1つ紹介したいと思います!


それは・・・

土佐勤王党(とさきんのうとう)創設者『武市半平太』の

京都の宅跡である

武市瑞山先生寓居之跡

武市瑞山先生寓居之跡(たけちずいざんせんせいぐうきょのあと)です

※武市半平太は武市瑞山の呼称です。


1862年、京都にやって来た武市半平太(瑞山)は

この京都において何をしていたのかと言うと

『京都留守居役(きょうとるすいやく・京都における土佐藩の代表者)』として

従事していました。


その裏で、土佐勤王党を率いて

開国論者や佐幕派要人の暗殺指示を行っていたと言われています

※土佐勤王党は土佐の下士(かし)・郷士(ごうし)といった下級武士を中心に結成された攘夷(じょうい・『夷敵=外国人』を打ち破る)集団です。


・・つまり天誅を下していたのです!

※彼の指示によって人斬りを行っていたとされる岡田以蔵(おかだいぞう)は有名ですよね。


そんな武市半平太が京都の住まいとしていた

この地(三条木屋町を50メートルほど北上)には

『四国屋』と呼ばれる旅館があり

彼はここに長期滞在し、住まいとしていたそうなんですね

※土佐勤王党の人間や長州藩士らが多数出入りしていたと言われています。


そして、この旅館の離れには

『丹虎(たんとら)』という料亭が建っていました

・・・ちなみに、この丹虎という名前を聞いて

ピン!!ときた人は流石ですっ。


このお店は、池田屋事件のあった当日

池田屋と同様に、新撰組によって乗り込まれたお店なんだそうです!!


どういう事かと言いますと

長州藩を中心とする攘夷派のアジトとして

以前から丹虎は新撰組によってマークされていたみたいなんですね


こうした事から、事件のあった当日は

近藤勇ら10人が池田屋に

土方歳三ら24人が丹虎に向かったと言われているんですね

※一説では、土方歳三らが丹虎に乗り込んだのは、三条~四条の店をしらみ潰しに当たっていたからにすぎないという説もあるそうです。


結果は、皆さんもご存知の通り

池田屋に攘夷派が集まっていたんですね!

こうして池田屋事件が起こったというワケです。

※池田屋事件の起きた経緯や詳細については木屋町界隈の史跡 その2や、池田屋騒動之址の記事をご覧下さい。


ちなみに、土方らが襲撃した際

武市半平太はもうすでに京都にはおらず

前土佐藩主であった山内容堂(やまうちようどう)によって投獄されていたみたいですね。


彼に関するお話は、木屋町界隈の史跡 その3にて

詳しく書いていますのでそちらの記事をご覧ください。


さて、そんな出来事が起こった丹虎ですが

現在、この地には金茶寮(きんちゃりょう)という料亭が建っています。


このお店は旅館も完備しているそうで

『武市ゆかりの部屋』というのがあり、宿泊する事も可能なんだそうですよ!

興味のある方は是非チェックしてみてはいかがでしょうか?


ちなみに、武市半平太はその後

1年8ヶ月の獄中生活を経た後、切腹を命じられたんですね

彼は最後に、あの有名な三文字(腹を横に三度かき切る)の切腹を行い

その人生に幕を下ろしたと言われています


そんな武市半平太の京都の住まいであった

武市瑞山先生寓居之跡の場所はコチラ↓



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