今回ご紹介するのは、南丹市(なんたんし)にある・・・

八幡神社

八幡神社(はちまんじんじゃ)です

※南丹市は、京都市の北西に位置する市です。


八幡神社の鳥居

八幡神社は

八幡神(はちまんしん・八幡大神)を祀っています。

ちなみに、八幡神を祀る神社(八幡宮など)は

南丹市以外にも、全国的に建てられています。

※総本社は大分県にある『宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)』です


八幡神社

ちなみに八幡神とは

応神天皇(おうじんてんのう・第15代天皇)の神霊とされ

応神天皇の母親である『神功皇后(じんぐうこうごう)』と

父親である『仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)』の三柱で

八幡三神と言われているんですよ

※詳しくは京の八幡宮巡りの記事をご覧下さい。


由緒が書かれた札

創建されたのは、今から約600年前だそうです。

ちなみに

この八幡神社がかつて建っていた丘は

全長84メートルの前方後円墳でした

詳しくお話しますと

近年、この丘から鉄滓(てっさい・鉄くず)が出土した事をきっかけに

1972年に発掘調査が行なわれ

長さ6.4メートルの割竹形木棺(わりたけがたもっかん・棺桶)や

鏡、勾玉、武器などが発見され

垣内古墳(かいちこふん)と名付けられました。


棺桶は1つで、竪穴式に納められていたようです。

※作られたのは4~5世紀頃だと言われています。現在、古墳跡はありません。


割竹形木棺の周りを囲んだ粘土槨(ねんどかく)から

出てきたのは

三角縁三仏神獣鏡(さんかくぶちさんぶつさんじゅうきょう)や

彷製四獣鏡(ほうせいしじゅうきょう)など

多数の銅鏡(鏡)の他、大量の装飾品や武器が出土したそうです。

この他、中国製の鏡も3面あった事から

中国との交易が畿内において、頻繁にあったんでしょうね。


垣内古墳跡の石碑

境内には、垣内古墳跡の石碑が建てられています。


この事から、この地を統治していた

王の墓だと言われているんですよ。

ちなみに、古墳は3~7世紀にかけて作られたもので

時代によって埋葬される人や

古墳の構造、埋葬品などが変化するんですよ。

※古墳に関しては、詳しくは蛇塚古墳の記事をご覧下さい。


出土した埋葬品の多くが

国の重要文化財に指定されているそうで

南丹市立文化博物館にて展示されています

ちなみに、八幡神とされる応神天皇の古墳

『応神天皇陵(誉田御廟山古墳 ・こんだごびょうやまこふん)』で

420メートルの大きさ(全国で2番目)もあるんですね。


・・1位はというと

皆さんもご存知の

『仁徳天皇陵(大仙陵古墳・だいせんりょうこふん)』です

全長486メートルとなっています。


ちなみに、応神天皇の息子が仁徳天皇です。

どちらの古墳も5世紀に作られたと言われています

そんな垣内古墳跡に建つ八幡神社は

『内林の厄神(やくじん)さん』と地元の方から呼ばれ

厄除けのご利益があるとされています

※内林はこのあたりの町名です。


厄神宮

本殿隣には厄神宮が建っています。

ちなみに、八幡神が厄除けのご利益がある理由として

『宇佐八幡宮神託事件(うさはちまんぐうしんたくじけん)』

が挙げられます。


奈良時代の女帝・称徳天皇(しょうとくてんのう)は

彼女がお気に入りだった

僧侶の弓削道鏡(ゆげのどうきょう)を

次の天皇にしようとしていました。


そこで彼女は家臣たちに

「宇佐八幡宮で神のお告げがあり

弓削道鏡を次の天皇にしろと言っているそうじゃ!聞いてまいれっ。」

と伝えたんですね。


・・これ、実はものすごく大変な事で

天皇の座が『天皇家以外の人間』に奪われようとしているって事なんです(汗)

※この神託の噂は弓削道鏡自身が裏で手を引いていたと言われています。


『今井源一』を讃えた顕彰碑

境内には園部町(そのべ・2006年に南丹市に統合した自治体)の第五代町長『今井源一』の活躍・業績を讃えた顕彰碑(碑文)がありました。園部にある中央公民館の建設や、水道・道路などの公共事業に尽力したそうです。垣内古墳もこの工事に伴い、発見・発掘されたようですね。

この使者となったのが

和気広虫(わけのひろむし)という女性なのですが

宇佐八幡宮(大分県)まで距離がある事から

弟の和気清麻呂(わけのきよまろ・広虫の弟)に

その大役を任せたのです。


そして、宇佐八幡宮までお告げ(神託)を聞いて

帰ってきた和気清麻呂は・・・

称徳天皇に報告をします

清麻呂「八幡神のお告げによりますと

古来より、天皇というのは天皇家からしか出ていません。

それは今後も変わらないとの事です!!」

つまり、この瞬間、天皇家の血筋は守られたと言えますね。

※和気清麻呂は、この事から恨みを買い島流しになりますが、その後、称徳天皇が崩御した事によって弓削道教は失脚し、和気清麻呂は政界に復帰しました。


こうした理由から

天皇家の危機を八幡神の神託が救ったと考えられ

厄除けのご利益があるとされているんですね


もちろん、この神託を受け

弓削道鏡の即位を阻止した和気清麻呂も英雄視され

明治時代には紙幣にも描かれていたんですよ

※和気清麻呂や宇佐八幡宮神託事件について、詳しくは護王神社 その2の記事をご覧下さい。


という事で、今回は

南丹市にある八幡神社をご紹介しました。

場所はコチラ↓


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