今回ご紹介するのは、京都府の宮津市にある・・
如願寺(にょがんじ)です
宮津最古のお寺で
1024年に比叡山・延暦寺の僧であった
皇慶(こうけい)によって開山されたと言われています。
※この事から、当初は天台宗のお寺だったようです。天台宗や延暦寺については延暦寺(東塔)の記事をご覧下さい。現在の宗派である真言宗は、空海を祖とするものです。詳しくは東寺の記事をご覧下さい。
彼は薬師如来像を背負い、この地にやって来たそうで
当時、若狭湾を中心として
この辺り一帯を回っていたそうですよ
※舞鶴にある円隆寺(えんりゅうじ)も彼によって再興されたと伝わります。
仁王門には、こちらの仁王像が2体安置されています。
ちなみに仁王門は1690年に再建されたそうで、京都府の文化財に指定されています。
その後、1506年に
一色氏(いっしきし・当時、宮津を含む丹後国を守護していた氏族)が
若狭・武田氏らによる攻撃を受け
如願寺周辺で激しい戦いを繰り広げたそうです
この時、30程あったお堂が焼き尽くされたと言われています。
※この戦は「如願寺の戦い」や「如願寺跡合戦」と呼ばれている戦いで、如願寺は山城宮津城の向いにあった為、戦火に巻き込まれたようです。
こちらが本堂になります。
1672年に建てられたもので
宮津に現存する最古の阿弥陀堂建築と言われています。
※阿弥陀堂建築は平等院鳳凰堂に代表される建築手法で、平安時代に誕生しました。内装に絵画や彫刻などを用いて極楽浄土を表現する点が特徴的です。
中にある本尊の薬師如来立像は
平安時代後期に作られたものだそうですよ
仁王門と同様に、こちらの本堂も京都府の文化財に指定されています。
扉の部分には、月と太陽が象られています。これは、本尊の薬師如来の脇侍である月光菩薩と日光菩薩を象徴しているそうです。
この他にも、本堂には
如願寺を開山した
皇慶上人座像(宮津市の指定文化財)も安置されています
境内にも皇慶の像が建てられています。
室町時代初期に作られたと言われる宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。宝篋印塔とは供養塔の一種です。
さて、如願寺は江戸時代になってから
宮津藩主の永井尚征(ながいなおゆき・宮津藩初代藩主)により
祈願所として加護を受けました。
そして、宮津は一帯は
宮津城を中心に、城下町として栄えたんですね。
この頃は、寺の前を流れる如願寺川を挟み
両岸に境内が広がっていたそうで
数多くのお堂を構えていました
その他、6つの子院(宝寿院・吉祥院・宝性院・竜性院・成智院・感性院)が
あったと言われています。
※現在の境内は、如願寺川の北側のみとなっています。
こちらは火松地蔵です。
よく見ると、祠の中には、松の木に寄り添うように
お地蔵さんが立っています。
以前、この松は落雷で倒れたそうで
その根元を、こうしてお地蔵さんと一緒に
祀っているようです
鐘楼です。こちらも、おそらくかなり古いものだと思われます。
最後にご紹介するのは『芭蕉堂』です。
芭蕉とは江戸時代初期の俳人・松尾芭蕉の事です。
中には芭蕉の木像や、本人直筆の句が収められているそうですよ
この他に、境内には宮津出身の俳人による句碑が
いくつも並んでいました
という事で、今回は宮津にある如願寺を
紹介させていただきました。
場所はコチラ↓